東京の「国が見捨てた構想路線」一部復活中!? 明暗わかれた1985年の鉄道計画 “壮大すぎた環状線”も

荒唐無稽すぎてボツ!?「答申」不採用の「広域環状線」とは

 1985年答申の「ボツ路線」には、さらに壮大な路線構想があります。

 まずは、1981(昭和56)年に設立され、答申から3年後の1988(昭和63)年に東成田~芝山千代田間の免許を取得する芝山鉄道の「九十九里地域への延伸」。そして極めつけが、1922(大正11)年に鉄道敷設法の建設予定線として挙げられた通称「土飯線」です。

 これは名前の通り茨城県の土浦と埼玉県の飯能を結ぶ路線で、常総、久喜、鴻巣、坂戸、高麗川など都心から40~50km圏を通過する環状線です。東京から各方面に放射路線が伸びる埼玉県は、東西を結ぶ鉄道ネットワークが弱いという課題を長年抱えており、大宮と所沢を結ぶ路線、八潮と和光を結ぶ路線なども構想されていました。

 いずれも超長期的構想という位置づけでしたが、採算性など越えるべきハードルがあり、以降は表舞台に登場することはありませんでした。もしバブル経済のような経済成長が続き、郊外の住宅化が果てしなく進んだならば、具体的な検討もされたかもしれません。しかしそんな勢いは現代の日本にはありませんでした。

 鉄道構想の卵は至るところに存在し、想いもよらぬタイミングで孵化するものです。あなたが空想した路線も、実はすでに誰かが構想しているのかもしれません。

【了】

【奇想天外な「ボツ路線」も…1985年の鉄道整備方針を見る】

テーマ特集「【記事まとめ】昔の鉄道風景は驚きだらけ!? あの路線の意外な歴史、幻に消えた鉄道計画も…知るほど奥深い「鉄道考古学」の世界」へ

Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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