旧駅名がストレートすぎ!? JR南武線の最閑散駅「津田山」 宅地に隠れた“ザ・工業廃線”の記憶

住宅のあいだ 踏切脇… 不自然なスペース

 線路は久地駅方面へしばらく南武線と並走した後、現在の「川崎市子ども夢パーク」付近で西へ向きを変え、弧を描くように敷設されていました。向かう先は土取り場。霊園になっている辺りは当時、セメントの材料となる粘土の採掘場だったのです。

 粘土はヒューム管と同じように、津田山駅から川崎臨港部へ輸送されていました。当時の記録には、「土取り線」(引き込み線)へ蒸気機関車が入線し貨車を牽引したという記述も見られます。

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土取り線はこの住宅のあいだを通っていたとみられる。空間はかつての線路に沿ってカーブしている。写真を一部加工(2023年5月、大藤碩哉撮影)。

 土取り線跡は駅側で日本ヒュームの敷地内を通るほか、それ以外の区間は廃線となって久しく周囲は宅地されているため、痕跡はほとんどうかがえません。唯一、霊園手前の道路が廃線跡と重なるほか、住宅のあいだにカーブした不自然な空間が見て取れます。

 また土取り線は途中で分岐し、さらに久地駅方面へと延びていた可能性があります。古い航空写真に線路が写っているほか、昭和40年代に沿線で撮影された写真には、現在の津田山第二踏切付近で、草に覆われた線路に車止めが設置されている様子が収められています。

 現地を訪れると、線路はとうに撤去されているものの、踏切用地が3線分確保されていて広いうえ、かつて線路が延びていたであろう方向を見ると、住居が廃線跡に沿って後退しているのが分かりました。

 南武線の小さな駅、津田山。歴史をひも解くと、意外な一面が見えてきます。

【了】

【航空写真】津田山駅から延びていた廃線跡とは

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