終点目前で“関東大震災”発生 「駅の物品を載せろ」「うちの家財道具も」 避難運転の結末は

駅長「転落してもいいから進行せよ」 発言のワケは

 20時30分、14両編成の列車は、機関車が後ろから押すバック運転で、火の手とは反対方向の品川方面へと、ゆっくり避難運転を始めました。

 300mほど進むと、線路上で人々が叫んでいて、列車は火と人との間で立ち往生となります。赤坂方面から火災に追われて避難してきた市民たちで、列車は彼らとその家財道具を乗せて再び発車します。

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有楽町方面から新橋駅を望む。現・銀座口側(東側)に焼けた赤煉瓦駅舎が見える(『関東地方大震火災写真帳』より)。

 しかし浜松町駅付近まで進むと、火はその先の金杉橋に延焼していて、もはや進むことができなくなります。線路周辺は火に包まれ出し、車中の避難者は荷物を車内に残したまま脱出、品川方面へと逃げ死傷者はゼロでした。

 23時頃、この避難列車は猛火に襲われ、鉄の台車のみを残すだけの無残な姿へとなり果てます。当時の客車は木造だったためです。

 杉田駅長は後に、「急行6列車を金杉橋から転落させてもいいから進行させようとした」と、『鉄道時報』の記者に語っています。そうすれば、列車に載せた新橋駅の物品は焼失せずに済んだというわけです。ただし「不幸にして機関車の水が欠乏して動かせなくなったので、やむなく(総員が列車から)立ち退いた」とも語っています。

 列車を橋から水中へわざと落とすという奇想天外な行為が良策だったかどうかは別として、せっかく駅の物品を列車に積み込んだのに、それが全焼してしまった悔しさが伝わってくる言葉です。

 関東大震災では、被害に遭った列車や駅で、平時では考えられないような出来事、人々の判断が数多くありました。それらの中には、今後起きるであろう震災への備えとして、示唆に富んだものが含まれています。

【了】

【え…】丸焼けとなった急行6列車です

Writer: 内田宗治(フリーライター)

フリーライター。地形散歩ライター。実業之日本社で旅行ガイドシリーズの編集長などを経てフリーに。散歩、鉄道、インバウンド、自然災害などのテーマで主に執筆。著書に『関東大震災と鉄道』(ちくま文庫)、『地形で解ける!東京の街の秘密50』(実業之日本社)、『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』(中公新書)』ほか多数。

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