初来日のイタリア空軍「実は100年前にも来てました」!? 人類初の欧亜飛行を“再現した”と語るワケ
100年前に複葉機で達成 ローマ~東京の「冒険飛行」
イタリアから日本までの史上初となる長距離飛行は、ライト兄弟が人類初の有人飛行を達成してからわずか17年後の1920年に行われました。当時、イタリアから日本までの移動はもちろんのこと、ヨーロッパからアジアまで飛行機で移動すること自体が初めてのことであり、この飛行は現在の航空会社が定期的に行う商業飛行とはまったく異なる、危険を伴った冒険飛行に近いものだったといえるでしょう。
そのため、この飛行には単独ではなく4機種11機もの航空機が投入されています。数の上で中核となったのは「アンサルドSVA.9」というイタリア製の複葉機でした。各機はイタリア軍のパイロットが操縦し、さらに道中の機体整備のためイタリア軍の下士官も同乗していたそうです。
これらは1920年2月に首都ローマを出発。地中海沿岸を東へと進み、アラビア半島を横断してペルシャ湾に入ると、アラビア海沿岸部を経てインドの内陸部を横切り、東南アジアではビルマ(現:ミャンマー)やベトナムを経由して中国へ到着。その後、広東、上海、北京を経由し、朝鮮半島を経て5月30日に最終目的地である東京の代々木練兵場(現:代々木公園)に無事着陸しました。途中で立ち寄った場所は約30か所、かかった日数は109日間で総飛行距離は1万8000kmにもなったといいます。
ただ、この飛行は決して順調なものではなく、道中では多くのトラブルが発生しています。故障などの機体トラブルはもちろん、イラクではサッカーの試合が行われているスタジアムに不時着したほか、ペルシャ(現:イラン)では乗員が死亡する墜落事故も起きています。参加した11機の多くがトラブルや破損によって飛行を断念しており、最終的に日本まで到達できたのは、アルトゥーロ・フェラリン中尉(当時)とグイド・マジエーロ中尉(当時)が操縦する2機のSVA.9だけでした。
代々木練兵場に到着した2名のパイロットと各機に同乗していた整備担当の下士官2名は、日本において熱烈な歓迎を受けました。到着に際しては政府要人が出迎えたほか、皇居では貞明皇后(大正天皇の皇后、昭和天皇の母君)にも謁見。到着翌日の31日には代々木練兵場に約20万人もの見物人が訪れたといわれています。
日本初飛来を達成したSVA.9の内の1機は、その後、靖国神社の敷地内にある遊就館で展示されました。しかし、1923年の関東大震災で同施設が損壊した際に損傷し、その後に廃棄されてしまったそうです。
ただ、日本の航空史にとっては間違いなく歴史的な出来事であり、それを称えるため1970年の大阪万博ではイタリア館にレプリカが展示されました。それは万博終了後に日本へ移譲され、航空自衛隊で保管されることに。このレプリカSVA.9が、静岡県の航空自衛隊浜松広報館で展示されているものです。
コメント