「富士山の中腹のアメリカ軍基地」とは? マイナーだけど必要不可欠 世界の模範「フジ・モデル」
訓練用だけどブートキャンプではないよ
では、なぜキャンプ富士が在日米軍にとって必要不可欠な施設なのか。その理由は、冒頭に記した「東富士演習場に隣接している」という点です。つまり、陸上自衛隊の演習場でアメリカ軍が各種訓練を行う際、ここが寝泊まりできる場所となっているわけです。
よって、キャンプ富士で新兵教育などは行っておらず、映画やマンガなどで見かけるような「ブートキャンプ」(新兵訓練所)としても使われていません。ちなみに、アメリカ海兵隊のブートキャンプにはMCRD(マリーン・コー・リクルート・デポ)と呼ばれる専門の新兵訓練施設、いわゆる新隊員教育隊が配置されています。
全米を、ミシシッピ川を境として東西に分け、西に居住する若者はカリフォルニア州のサンディエゴで、東に居住する若者はサウスカロライナ州にあるパリスアイランドで受け入れ、一人前の海兵隊員に育て上げています。逆にいえば、アメリカ海兵隊が持つブートキャンプは世界でもこの2か所のみです。
そのため、キャンプ富士は、自衛隊的にいえば大きな外来施設という位置づけです。ゆえに、常駐している海兵隊員も150名前後と少なく、勤務する日本人従業員も同程度であることから、ほかの在日米軍基地と比べるとマイナーな存在となっていると言えるでしょう。ただ、東富士演習場で訓練するための部隊が来ているときは、その数倍にも人数が増えるため、そのときだけは賑やかになります。
ちなみに1960年代から70年代にかけて起きたベトナム戦争のときは、多くの将兵がキャンプ富士で訓練を受けてからベトナムへと派遣されていたため、この周辺は当時、米兵目当てで多くの飲食店が立ち並び、極めて賑やかだったそうです。ただ、今となってはその面影もほとんど残っていません。
なお、歴代のキャンプ富士司令官は地域との繋がりを重視していて、実際に地元住民とは良好な関係を作り上げることに成功しています。ゆえに、キャンプ富士の地元対応は在日米海兵隊において「フジ・モデル」と呼ばれており、すべての在日米海兵隊が模範とすべき理想の基地であるともいわれています。
【了】
Writer: 武若雅哉(軍事フォトライター)
2003年陸上自衛隊入隊。約10年間勤務した後にフリーフォトライターとなる。現場取材に力を入れており、自衛官たちの様々な表情を記録し続けている。「SATマガジン」(SATマガジン編集部)や「JWings」(イカロス出版)、「パンツァー」(アルゴノート)などに寄稿。
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