「失敗したらえらいことに…」JR九州が威信かけた元「つばめ」のスゴさ 大評判から31年の“変化”
工業デザイナー・水戸岡鋭治氏の手掛けた列車が多く走るJR九州。なかでも1992年に登場した787系は、同氏が手掛けた初の新造車でした。「ホテル並みの列車」を目指した車両は31年目を迎えています。
栄光の「つばめ」を継ぐために
「つばめ」の列車名は、現在では九州新幹線の各駅停車タイプですが、それ以前はJR九州のメインルート・鹿児島本線を走る在来線特急列車でした。
新幹線がなかった当時のJR九州にとって「会社の顔」として、1992(平成4)年に登場した車両が787系電車です。ちなみに漢字表記の「燕」は、戦前に東海道本線を走った超特急の列車名であり、名前を継承した「つばめ」は、栄光の列車にふさわしい車両が求められたのです。
手掛けたのは工業デザイナー・水戸岡鋭治氏。今でこそ全国で氏の列車を見かけますが、787系の開発時は既存車両の改造車だけで、新規デザインは初めて。「これに失敗したら、えらいことになる」と、当時の石井社長(JR九州)が漏らしたほど、社運をかけたプロジェクトでした。
当時の博多~西鹿児島(現・鹿児島中央)間は、特急でも4時間弱かかり、高いサービス水準が求められました。「4時間の旅は、お客様が飲食して語らう空間が絶対に必要」という水戸岡氏の強い意向により、当初は食堂車が検討されます。しかし、年間1億円の赤字が出るとされ、ビュッフェとして実現しました。とはいえ、当時食堂車が削減され続ける中で新規に飲食車両を設けたことは、強いインパクトを残したのです。
さらに787系は「ホテル並みの空間」を目指し、グリーン車の手洗い所の床にエンボス加工をした御影石を採用したり、セミコンパートメントの仕切りにガラスを採用したり、桜の1枚板でビュッフェカウンターを作ったりと、素材にこだわった車両でした。また、当時の列車では非常に珍しい間接照明を多用し、上品な空間を実現しています。荷物棚も落ち着いた空間の実現を重視して、蓋付きです。
ほかにも、列車で初めてとなる真空式のトイレを設置し、一部のトイレでは便器が見えない仕切り板を設けるなど、上品な空間作りを徹底していました。
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