最強か中途半端か「航空戦艦」 世界唯一の形態へ変貌した「伊勢」の生涯
航空+戦艦、実際にはどうだった?
しかしながら実際に運用すると、主砲の射撃時は飛行甲板が使えない、敗色濃くなる中そもそも搭載する艦載機がないなど、「伊勢」は想定された実力を十分に発揮できなかったといいます。戦力的に中途半端になってしまい、その後も最前線に投入されることはほとんどありませんでした。
1944(昭和19)年10月、「伊勢」はレイテ沖海戦に参戦。しかし広い面積を有する飛行甲板を用いて物資運搬に従事するくらいで、大きな戦果を挙げることなく日本本土へと戻ってきます。この海戦で日本は空母4隻、ほか艦艇も多数失い、海軍機動部隊は事実上、壊滅しました。
1945(昭和20)年に入ると、日本はもはや防戦一方の状況でした。本土にはアメリカ軍の爆撃機が幾度となく襲来します。「伊勢」はといえば燃料が欠乏し、広島県の呉軍港に留め置かれていました。船体後部に広がる飛行甲板には対空兵装が増設され、専ら砲台のようでした。
終戦直前の1945(昭和20)年7月末、呉は大規模な空襲を受けます。回避行動のとれない「伊勢」は格好の標的となり、10発以上の爆弾が命中。浸水し大破着底しました。傍らにいた「日向」も同じ運命でした。
終戦後、2隻とも浮揚ののち解体されました。ちなみに「伊勢」は浮揚後しばらくのあいだ、外地からの引揚者の住宅として艦内が使われたことがあります。さて、こうして消滅した航空戦艦でしたが、戦果を挙げたことはほとんどありませんでした。間に合わせであれ、航空機を運用できる艦を保持しておきたいという軍部の考えで生まれた軍艦といえそうです。
【了】
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