「伊豆路の特急」なぜ特別? 戦前の“特急並み”準急から現行「踊り子」までを振り返る

東京から伊豆半島へ向けた特急列車は「あまぎ」に始まり、2024年で55周年です。旺盛な観光需要のため、投入された車両やサービスは実に見ごたえ豊富。歴史を振り返ってみます。

準急だけど特急並みだった熱海行き

 2024年は、東京から熱海・伊豆半島方面に向かう特急列車が誕生して55周年に当たります。そもそも、熱海は昔から人気観光地ですから、戦前に東海道本線が御殿場回りで静岡へ向かい、熱海に向かう路線が「熱海線」だった時代から、観光列車が運行されていました。

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「黒船電車」として親しまれる伊豆急2100系電車(左)と、「サフィール踊り子」として使われるJR東日本の新型E261系電車(2020年4月、安藤昌季撮影)。

 最初に運行されたのは1928(昭和3)年。東京~熱海間の準急列車でした。この列車は休日のみの運行で、行楽輸送を目的としていました。当時の所要時間は2時間13分、停車時間を含めた平均速度である表定速度は47.1km/hです。当時、特急の運行は東海道本線のみでしたが、特急「富士」「櫻」の表定速度が51.6km/hですから、熱海準急はかなりの高速です。

 1930(昭和5)年に熱海準急はさらにスピードアップし、東京~小田原間を1時間20分(表定速度62.9km/h)、東京~熱海間を1時間45分(同59.7km/h)で結び、「特急より速い準急」となりました。同年に運行開始した超特急「燕」が、表定速度68.2km/hの時代です。

 そして1933年(昭和8)年からは、現代の特急「踊り子」でも行われている、東京~修善寺間の直通運転も始まりました。さらに翌年には丹那トンネルの全通により、熱海線が東海道本線となり、熱海準急は新宿駅や沼津駅まで乗り入れるようになります。

 さらに1938(昭和13)年には伊東線が開通し、東京~熱海間の準急は伊東駅へ延長。所要2時間22分(表定速度51.3km/h)でした。

 太平洋戦争により、準急は一旦廃止されますが、1949(昭和24)年に下りのみ毎週土曜日運行で、東京~伊東間に復活します。ほどなくこの準急には「いでゆ」という愛称が付きますが、この時点で名称がある列車は、特急「へいわ」と夜行急行「銀河」のみですから、国鉄が力を入れていたことが分かります。

 翌1950(昭和25)年、東京~伊東・修善寺間に、準急「あまぎ」が設定されます。車両は80系電車。週末のみとはいえ、この列車は「優等列車への電車使用」の先駆けでした。東京~熱海間の所要は1時間29分(表定速度70.3km/h)で、客車特急「はと」と同じだったことから「あまぎ」は電車の高速性を証明し、「湘南特急」と俗称されました。

国鉄時代の「踊り子」、0系新幹線と並ぶ(写真)

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