『ゴジラ-1.0』の重要ロケ地「国内最大級の戦争遺構」とは? “滑走路のない航空基地”で奇跡的に残る“鳩ぽっぽ” 跡
旧海軍も採用! フライトシミュレーター「鳩ぽっぽ」
そうした残された数々の遺構の中にちょっと面白い施設跡を見つけました。それは気缶場(ボイラー室)の手前にあった地上演習場の建物跡に残された複数のコンクリート製円柱です。
実はこれ、旧日本海軍が飛行訓練に使用したフライトトレーナー(シミュレーター)の基部でした。このフライトトレーナーは、1930年代にアメリカから輸入したリンク・トレーナーC-3型だと思われます。
リンク・トレーナーはエドウィン・リンクが1929(昭和4)年に開発して改良を重ねた装置で、パイロットが握る操縦桿の動きに連動してトレーナー本体が上下左右に動くといった、現代のフライトシミュレーターの構造と良く似たものです。さらに操縦席周りに蓋をすれば計器頼りの夜間飛行訓練用にすることも可能でした。
墜落事故の心配がなく、安全にかつ安価で飛行訓練が行えるリンク・トレーナーは、急速に発展する飛行機とそれに伴うパイロットの増加要請に合わせ、アメリカ陸海軍航空隊に相次いで採用されます。そして陸軍用に6271台、海軍用に1045台生産されて、第2次世界大戦中はパイロットの大量養成に一役買いました。
旧日本海軍は先見の明があったようで、いち早くこのリンク・トレーナーを「地上演習機」の名で導入しており、「予科練」の名で知られる海軍飛行予科練習生や少年飛行兵の記録写真などでその使用シーンをいまでも見られます。
ちなみに、その優秀な性能とは裏腹に、少し愛らしい遊園地の乗り物のようなトレーナーの形状から、「鳩ぽっぽ」の愛称でも呼ばれたそうです。
鹿島海軍航空隊跡には、他にも水上機の射出機(カタパルト)跡が岸壁に残されており、実習訓練施設としての往時が偲ばれます。実際に現地を訪ねてみると、筆者も時が止まったような不思議な印象を受けました。
公共交通機関ではたどり着くのが難しい場所ですが、機会があれば是非訪れてみることをお勧めします。この地で戦争に想いを馳せ、平和の尊さを確かめてみるのも良いのではないでしょうか。
【了】
Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)
1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。
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