「潜水艦から飛行機」という発想はぶっ飛んでいたのか 旧日本軍が着々研究したワケ

日本、ドイツ機を元に開発へ注力

 日本はドイツから小型水上機「カスパー U-1」を導入し、1925(大正14)年に最初の潜水艦搭載機を完成させます(横廠式一号水上偵察機)。 第一次世界大戦に敗北したドイツでしたが、ハインケル社は潜水艦用の小型機を試作しており、それを日本が極秘で購入したのです。さらに1929(昭和4)年に、伊51潜水艦から横廠式二号水上偵察機が発進し、朝鮮半島南部の鎮海湾にいた演習艦隊の偵察に成功しています。横廠式二号水上偵察機とは「パーナル ペイト」をベースとした機体であり、後の九一式水上偵察機です。

 各国で潜水艦搭載機が失敗する中、日本は成功させたい理由がありました。仮想敵国のアメリカに対して、旧日本海軍は7割以下の艦隊戦力しか持たなかったからです。日本の目論みは、敵艦隊を早期に発見し攻撃を反復して相手を消耗させてから、艦隊決戦を挑むというもの。広大な太平洋では敵艦隊の位置を把握しなければ決戦は成立しませんから、そのための偵察は非常に重要だったのです。

 日本は当時、「敵基地の監視哨戒は、潜水艦を敵地に決死的潜入をさせるか、基地航空機で行うしかない。基地航空機は航続力の関係であてにはできず、潜水艦を敵港湾内に侵入させるのも困難。つまり潜水艦に偵察機を搭載する必要がある」と考えていたのでした。

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飛行する零式小型水上偵察機(画像:アメリカ海軍)。

 こうして九一式水上偵察機が、1932(昭和7)年に制式採用されました。性能は最高速度が169km/h、航続時間が2.06時間。翌1933(昭和8)年には、伊51よりカタパルト発進にも成功しています。

 旧日本海軍は航続力の長い巡洋潜水艦に航空機を搭載することを決意し、巡潜1型改、巡潜2型、巡潜3型、巡潜甲型、巡潜乙型、巡潜乙型改一、巡潜乙型改二の計37隻に、小型水上偵察機の搭載・発進設備を設置していきます。

 1936(昭和11)年には、搭載機として九六式小型水上機も制式採用されました。本機は組み立てや分解が3分で可能という優れもの。ただし、組み上げてから発進するまでには40分ほどかかったようです。性能は最高速度233km/h、航続距離732km、兵装は7.7mm機銃1門でした。

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