「潜水艦から飛行機」という発想はぶっ飛んでいたのか 旧日本軍が着々研究したワケ
圧倒的な航続力 潜水空母の開発へ
続いて零式小型水上偵察機が1940(昭和15)年に制式採用されます。性能は最高速度246km/h、航続距離882km、兵装は7.7mm機銃1門と向上しましたが、敵戦闘機と遭遇したら無力でした。太平洋戦争中の1942(昭和17)年、伊25の搭載機がアメリカ本土空襲を敢行しています。これはアメリカ本土に対する、軍用機による史上唯一の空襲です。
一方、ドイツでは1941(昭和16)年に初飛行した「アラドAr231」がXI型巡洋潜水艦に搭載される予定でしたが、建造が中止されたので、仮想巡洋艦の偵察機となっています。また、回転翼機として「フォッケ・アハゲリス Fa 330」を開発し、一部の潜水艦に搭載。1943(昭和18)年には航空偵察でギリシアの蒸気船を発見しています。これは日本以外の潜水艦搭載機が実戦で活躍した数少ない実例です。
日本はさらに、アメリカ東海岸やパナマ運河の攻撃用として、水上攻撃機2機を搭載でき、かつ地球を一周できる航続力を持つ「潜水空母」の検討を始めます。伊400型潜水艦(潜特型)です。
伊400型は18隻の建造が予定されましたが、戦局の悪化で5隻に縮小され(完成したのは3隻)、代わりに搭載機数を3機に増やして対応します。伊400型の穴埋めとして、同時期に建造していた伊13型(巡潜甲型改二)にも、水上攻撃機2機を搭載できるよう変更されました。
この潜水空母に対応した特殊水上攻撃機「晴嵐(せいらん)」は、最高速度474km/h(フロートを投棄すると560km/h)、航続距離1540km、兵装に13mm機銃1門、800kg爆弾あるいは魚雷の搭載が可能という、これまでの潜水艦搭載機とは次元が異なる高性能機でしたが、戦果をあげることなく終戦を迎えています。
偵察以外の潜水艦搭載機は、ほぼ実戦投入されないままでしたが、ロンドン海軍軍縮条約には「3隻まで排水量2800tの大型潜水艦を作ってもよい」という例外規定がありました。太平洋戦争の開戦前に、潜水空母とパナマ運河を攻撃可能な機体が実用化できていたら、戦局は若干変わったかもしれません。
【了】
Writer: 安藤昌季(乗りものライター)
ゲーム雑誌でゲームデザインをした経験を活かして、鉄道会社のキャラクター企画に携わるうちに、乗りものや歴史、ミリタリーの記事も書くようになった乗りものライター。著書『日本全国2万3997.8キロ イラストルポ乗り歩き』など、イラスト多めで、一般人にもわかりやすい乗りもの本が持ち味。
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