【空から撮った鉄道】路面から山を越えて地下へ “ド迫力”京阪京津線を追う
京阪電鉄京津線は、大津市中心部では併用軌道、逢坂山の山越えは急曲線に急勾配、御陵駅手前から地下鉄東西線へ乗り入れと、短距離で路面・山岳・地下鉄と変化。そんな稀有な路線を空から捉えました。
この記事の目次
・路面電車由来の京津線
・旧名鉄犬山橋を彷彿とさせる!?
・逢坂山に眠る廃線跡
・ほぼ直角のような急カーブを俯瞰
【画像枚数】全18点
路面電車由来の京津線
日本には、電車が道路を走って山越えをしたら、今度は地下鉄へ乗り入れる――そんな面白い路線があります。京都と大津を結ぶ京阪京津線です。同じ電車が路面電車になったり登山電車になったり、さらには地下鉄になったりという七変化並みで、目まぐるしく移り変わる車窓が楽しめます。
私が京津線を空撮したのは2015(平成27)年1月のことでした。今回はその模様をお伝えします。なお、文中の浜大津駅は2018年に「びわ湖浜大津」へ改称されましたが、撮影時は浜大津駅だったので、当時の名称でお伝えします。
京津線は歴史が古く、前身の京津電気軌道が1912(大正元)年に三条大橋~札ノ辻間を開通させました。札ノ辻駅は浜大津駅付近にあった駅です。その後は三条大橋~三条間が延伸。1925(大正14)年には京阪電鉄と合併して京阪京津線となり、札ノ辻~浜大津間が延伸し、三条~浜大津間が全通しました。
全通当時の路線は、三条~蹴上間、日ノ岡~御陵間、上栄町~浜大津間が併用軌道で、そのほかの区間は専用軌道。蹴上~九条山間には66.7パーミル、大谷~上栄町間は61パーミルの勾配が控える2度の山越え区間があり、大谷~浜大津間には半径40m、45mの急曲線もあって、変化に富む線区でした。
その姿は長らく変化ありませんでしたが、京津三条(三条から改称)~御陵間を廃止して京都市営地下鉄東西線へ乗り入れることになると、それに合わせて電圧を600Vから1500Vへ昇圧し、専用の車両800系を新製。御陵駅付近に地下へ潜る新線トンネルを掘削し、1997(平成9)年10月12日に東西線との直通運転を開始しました。同時に京津三条~御陵間の地上区間は廃止され、京津三条、東山三条、蹴上、九条山、日ノ岡の各駅も廃止となりました。
ただし御陵~浜大津間は存続。車両は車体長16.5mの4両編成と大型化されたため、地上区間で折れ曲がるように急曲線を通過し、併用軌道を走る姿は迫力あります。
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Writer: 吉永陽一(写真作家)
1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。