どんどん速くなっていった「私鉄キラー」今や夜行特急! 往年の新快速117系 どうスゴかったのか
名鉄にも挑戦状 117系、中京地区へ
117系は扉横も含めて全てクロスシートで、台車も特急形並みの空気ばね台車でした。なお国鉄の直近の転換式クロスシート車は、1974(昭和49)年に九州地区に投入されたキハ66系気動車の例がありましたが、こちらは有料急行としても使われる車両です。
当時113系のグリーン車では、リクライニングしない回転式クロスシート車も連結されていましたから、設備的に大差ない転換式クロスシートの117系は「国鉄らしからぬサービス車両」として、とても注目されました。
非貫通式でヘッドマークを掲げた前頭部、戦前の急行電車モハ52形を受け継いだクリーム1号にぶどう色2号の帯という地域色を盛り込んだ意欲的なデザインは、新時代の国鉄を感じさせました。地域色は117系が復活させた概念であり、ワインレッドに白帯の身延線用115系など、各地の地域色を実現するきっかけとなりました。117系には「シティライナー」の車両愛称もつきました。
1980(昭和55)年に新快速として運行開始した117系は評判を呼び、国鉄は中京地区の豊橋~岐阜間への投入計画も進めます。1982(昭和57)年より快速として、名古屋鉄道の特急に戦いを挑んだのです。
当初は名鉄優位でしたが、JR東海発足後の1989(平成元)年より中京地区にも新快速が設定されます。車両は117系から、すぐに120km/h運転の311系電車(後述)となり、110km/h運転の快速(117系)と共に、名鉄のシェアを脅かしていきました。
なお、運行当初の最高速度は100km/hでしたが、1985(昭和60)年の関西地区における新快速の新大阪駅停車時より110km/hへ引き上げています。翌1986(昭和61)年、新快速運転区間の拡大に伴い、117系は増備されました。この際に登場したのが100番台です。100番台は側窓が桟のない1段下降窓となり、眺望性がアップしたほか座席がバケット式となりました。
ただ、この頃が117系の全盛期でした。
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