旧日本陸軍「隼」 零戦の方がすごかったは本当か? ぶっちぎりの加速 連合軍も終戦まで警戒

「隼」vs零戦 スペックのほどは

 この時期、海軍の零戦は実戦デビュー直前で、航続力の長いキ61(後の三式戦闘機)の開発も進められていたことから、陸軍は零戦やキ61の採用も検討したうえで、「隼」の改修案を採用したようです。実際「隼」が中島飛行機の単独発注ではなく競争試作なら、三菱は零戦の陸軍版を出してきたでしょうから、危うかったかもしれません。

 制式採用された一式戦闘機「隼」1型は、零戦11型と似通った性能を持っていました。同じ条件で比較すると、以下の通りです。

●隼1型
最高速度:494km/h(高度5000m。ただし海軍の良質燃料だと500km/h以上)
上昇力:5分13秒(5000mまで)
翼面荷重:93.1kg/平方メートル
馬力荷重:2.11
急降下制限速度:550km/h
航続距離:3000km(増槽あり)
武装:7.7mm機銃2門

●零戦11型
最高速度:509km/h(高度5000m。機体強度強化後で533km/h)
上昇力:5分56秒(5000mまで)
翼面荷重:107.9kg/平方メートル
馬力荷重:2.31
急降下制限速度:630km/h
航続距離:3350km(増槽あり)
武装:7.7mm機銃2門、20mm機銃2門

 武装、速度、急降下制限速度、航続距離では零戦が勝り、上昇力、運動性(翼面荷重:数字が小さいほど優れる)、加速性能(馬力荷重:数字が小さいほど優れる)と防弾装備は「隼」が勝りました。両者は非公式に手合わせしていますが、そこでは零戦がやや優勢だったようです。

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零式艦上戦闘機(零戦)11型(画像:Public domain、via Wikimedia Commons)。

「隼」は当初、機体構造が脆弱で、空中分解したこともありましたが、強化後は操縦性・安定性が抜群でした。太平洋戦争開戦後、1942(昭和17)年3月までの期間で「隼」は連合軍の航空機61機を撃墜し、喪失被害は16機のみでした(以下、日米の記録を照らし合わせての数字)。

 その後「隼」には改良が加えられ、2型の後期型では最高速度548km/h、上昇力4分48秒(5000mまで)、炸裂弾の採用で威力を増した12.7mm機関砲2門を搭載し、急降下制限速度は600km/hに強化されました。同時期の零戦にはない防弾装備も、対12.7mm弾と強化されています。「隼」は「空の狙撃兵」といわれた九七式戦闘機を上回る射撃精度と、低空ならエンジン出力が2倍近い連合軍戦闘機でもぶっちぎる加速力を有しており、連合軍の脅威であり続けました。

【写真】鹵獲、投棄… 無残な姿をさらす「隼」

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コメント

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1件のコメント

  1. 連合軍から、少なくとも高度20000ftまでの全高度域でスピットファイアMk.Vより優れている。
    と結論されている両者ですが
    急降下もスピットファイアMk.Vとほぼ変わらず
    インチキ(スピットファイアパイロットにcotton suitを着せる)すれば
    高速と高荷重倍数を組み合わせた機動で優位がとれるくらいで
    インチキ無しなら普通に零戦の方が格上、くらいに書かれている零戦に比べると
    急降下が鈍い隼はそこまで高い評価ではありません。
    フィリピンや本土防空など零戦と隼が同一方面で戦った際も結果に大差はありませんので
    ビルマ戦線が何らかの理由で特別だったのではないでしょうか。

    零戦の運動性能が改良時に低下したのは事実ですが
    試験時にスピットファイアMk.Vは零戦が計器指示220ktで2連続宙返りするのに
    1周もついていけない醜態をさらしています。(試験条件では真対気速度545km/h程。)
    スピットファイアはマニュアル上、宙返り:計器指示300mphなので仕方ないとはいえ
    鐘馗が260mph、紫電改が200ktで楽々宙返りできる。とされていることを考えると
    そもそも運動性能は日本機の中では低い方の機体であっても
    連合軍機のほとんどには手に負えないはずです