旧日本陸軍「隼」 零戦の方がすごかったは本当か? ぶっちぎりの加速 連合軍も終戦まで警戒

旧日本陸軍の「隼」は、旧海軍の零戦とよく比較されます。火力、速度、航続力で零戦が上であるため「陸軍が零戦を採用していれば」とまでいわれますが、大戦後期まで連合軍戦闘機と互角に戦えた名戦闘機でもあります。

戦後も海外で運用された

 南太平洋のラバウルでは、アメリカ軍の大型爆撃機B-17Fを12.7mm機関砲で撃墜し、零戦と遜色ない性能を見せます。1943(昭和18)年7月から1944(昭和19)年7月のビルマ航空戦では、「隼」は連合軍機を計135機撃墜、損失は83機と優勢に戦いました。撃墜機には、連合軍最強ともいわれたP-51戦闘機も含まれます。

 ビルマなどの東南アジアでは、「隼」の運用は終戦まで続きます。1944年8月から終戦までを見ても、「隼」は敵機63機を撃墜、損害は61機とほぼ互角でした。

 零戦より強力な旧海軍の「紫電改」でさえ連合軍機に押されている時期に、これだけの戦果を挙げた「隼」を見るに、兵器はカタログスぺックではないと感じさせられます。「隼」はさらに改良された3型も登場し、最高速度は560km/hに達しました。連合軍は最高速度を576km/hと評価しており、落下タンク懸吊架を装備した状態で560km/hだったとも考えられています。

 実際、ノモンハン事件から終戦まで戦った陸軍トップエースの上坊大尉は、「連合軍最強のP-51と1対1で戦うなら、四式戦闘機『疾風』ではなく『隼』3型を選ぶ。負けないから」と述べています。

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「隼」2型。主翼下に落下増槽が見て取れる(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

 零戦が武装強化などで持ち味の運動性を低下させる中、「隼」は対戦闘機戦において零戦以上の運動性能と抜群の加速力という武器がありましたから、連合軍からすれば零戦以上の脅威だったのかもしれません。連合軍は「隼」と零戦について、急降下すれば逃げられるという対処方法を示していますが、「隼」は低空での加速力が抜群だから警戒するよう、対零戦にはない注意点を付け加えています。

 なお太平洋戦争終結後、海外にあった「隼」は、フランス、インドネシア、中国、北朝鮮、インドネシアに接収され、1947(昭和22)年7月からのインドネシア独立戦争では実戦投入されています。

【了】

【写真】鹵獲、投棄… 無残な姿をさらす「隼」

Writer:

ゲーム雑誌でゲームデザインをした経験を活かして、鉄道会社のキャラクター企画に携わるうちに、乗りものや歴史、ミリタリーの記事も書くようになった乗りものライター。著書『日本全国2万3997.8キロイラストルポ乗り歩き』など、イラスト多めで、一般人にもわかりやすい乗りもの本が持ち味。

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