日本を代表する戦艦=「大和」じゃない!? アメリカで最も有名な艦は 旧式だけど「すごく速い」

同設計のイギリス戦艦がドイツ軍に撃沈された

 ただし、38.1cm砲を搭載した場合、「金剛」の完成は1年半~2年遅れとなり、史実では完成直後に第一次世界大戦が始まったことから、建造中にイギリスに接収されたと思われます。「金剛」が発端で、日本国内で建造される同型艦「榛名」「比叡」「霧島」も同様に遅れ、金剛型の技術導入で建造された扶桑型・伊勢型戦艦の建造も遅延し、ワシントン海軍軍縮条約締結時に長門型戦艦が存在せず、外交上不利になったかもしれません。

 こうして完成した「金剛」は、常備排水量2万6330t、35.6cm45口径連装砲4基8門、最大速力27.5ノット(50.9km/h)、舷側装甲203mm、水平装甲合計95mmという性能で、35.6cm主砲は就役当時世界最大でした。なお、設計は同じイギリス式のオスマン帝国向け戦艦「レシャド5世」(イギリスに接収され「エリン」に変更)の巡洋戦艦版で、「金剛」と「エリン」は艦首から艦橋あたりまでが酷似しています。

「榛名」「比叡」「霧島」をあわせた金剛型4隻を有する第三戦隊は当時、世界最強の巡洋戦艦部隊でした。第一次世界大戦を受け、イギリスは金剛型の貸与、あるいは日本側乗員による欧州戦線への参戦を求めますが、日本側はこれを断り、日英関係悪化の要因となります。そして同じイギリス式設計の巡洋戦艦がドイツ巡洋戦艦に撃沈され、特に遠距離砲戦で水平装甲の防御力不足が問題視されました。

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1917年から1920年のあいだに撮影された巡洋戦艦時代の「金剛」。竣工時のオリジナルの姿(画像:アメリカ海軍)。

 日本は1924(大正13)年より金剛型の改装を行い、水平装甲の増加や主砲仰角の増加を行いました。1930(昭和5)年のロンドン海軍軍縮条約後に、金剛型は水平装甲を増加したことで、速力が25ノット(46.3km/h)に低下したため「戦艦」に改められています。

 軍縮条約で舷側装甲の強化は認められないので、厚さ203mmという戦艦としては脆弱な装甲となりました。なお、同時期にイギリスのレナウン級は、特例で舷側装甲を152mmから229mmへ増加させています。同じ英国式設計艦を持つ日本が「金剛型にも装甲増加が認められるべき」と主張しなかったのは惜しまれます。

【貴重な1枚!】これが「巡洋戦艦」時代の金剛です

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