なぜ長引いた?「能登半島地震の自衛隊活動」でも史上最長の災害派遣じゃない!? “驚愕の4年半”を忘れるな!

陸路がダメなら海路も使え!

 その主要な道路というと、能越自動車道と国道249号ですが、1月1日午後の発災によって前者は直ちに通行止めとなり、後者も能登地域の主要都市である七尾市と隣接する穴水町までしか行けない状況に陥ります。そのため、そこから先の輪島市や珠洲市、能登町は陸の孤島と化しました。

 翌日には応急的に普通車が通れるだけの道が、これら被災市役所などへとつながったものの、大型車は依然として入ることができません。ようやく大型車も走れるようになったのは、発災3日目。発災15日目には国道249号等の半島内における主要な幹線道路の約9割が応急復旧し、最低限のルートが確保されるまでに至りました。

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能登半島の概要。中央部分が七尾湾によって大きくえぐれており、その部分は東西幅が極めて狭くなっている(国土地理院地図引用)。

 しかし、これは各市役所や役場までを繋ぐ主要道路に限ったハナシで、山間部などにある避難所や個人宅までに至る道路の多くは、土砂崩れなどで寸断されたままでした。

 つまり、東日本大震災と異なり、能登半島地震では救援に行きたくても非常に限定されたルートしか残されておらず、しかも、そこにあらゆる交通が集中したことから、移動だけで多くの時間を費やすことにつながったといえるでしょう。

 当然、救援物資や復旧のための重機を投入しようにも、なかなか現場まで辿り着けず、それらの活動を続けるための食料や燃料を届けようにも、交通渋滞が作業を大きく遅らせることになったようです。

 そのため、海上自衛隊はエアクッション揚陸艇(通称LCAC)を投入し、海から重機や物資を輸送する救援作戦を行いました。一方で、山間部については隊員の徒歩による人力運搬、もしくはヘリコプターでの空輸が選ばれています。

【被災者からの感謝の手紙も】隊員と地元住民の交流の様子(写真)

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