驚愕の「セスナで65日間飛び続けま~す」計画どう実現? 半世紀以上未踏の“世界記録”達成まで

どうやって飛び続けたのか?フライトの様子は?

 セスナ172が飛び続けるための燃料や物資は、地上を走るトラックに向けてウインチから降ろされたフックにかけて受け取られました。

 燃料補給はウインチで給油ホースを引き上げ、胴体タンクに接続。そこから燃料ポンプをつかって主翼内にある通常の燃料タンクに移しながら飛行するという方法でした。一回の給油に要する時間は3分。これを毎日2回行いました。また、長時間連続稼働するエンジンは、飛行中でもオイル交換やオイルフィルターの交換ができるよう配管が追加されています。

 このような改造が施されたセスナ172は何度かテスト飛行を行った後、1958年12月4日の15時52分、ラスベガスのマッキャラン空港(現ハリー・リード国際空港)を離陸しました。

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ラスベガスのハリー・リード国際空港(画像:ハリー・リード国際空港)。

 機内にはパイロット2名が乗り込み、4時間ごとに交代して飛び続けます。食事はハシエンダのシェフが調理し、料理は小さく切り刻んで輸送用の容器に入れて提供されました。狭い機内ではキャンプ用の折り畳み式トイレが使用されましたが、汚物は袋に入れて砂漠の真ん中で投棄されたということです。

 毎日、2回の給油や物資の補給作業などが日課になり、時間を潰せたようですが、慣れてくると時間を持て余して地上を走る車を数えたり、それをネタにゲームしたりして過ごしたそうです。しかし、騒音を伴う狭い機内では十分な休息は不可能です。パイロットたちの疲労は徐々に溜まっていきます。

 また、エンジンも長時間の連続稼働でシリンダー内に煤(すす)が蓄積し、性能が落ちてきました。ほかにもいくつかの軽微な故障が出始めたため、彼らはついに着陸を決意。1959年2月7日にマッキャラン空港へと降り立ち、滞空時間ほぼ65日間という記録を達成したのです。

 この記録は、機体の信頼性などの技術的挑戦というより乗員の疲労と忍耐の限界に挑戦したものといえそうです。なお、記録樹立から65年が経とうとしていますが、いまだに更新されていません。

 ちなみに、記録を達成したセスナ機は65年経った今でも「ハシエンダ」の大きなマーキングを纏ってマッキャラン空港のターミナルビル内で展示されています。

【了】

【写真】これが「65日セスナで飛び続けた」トンデモフライトの様子です

Writer: 細谷泰正(航空評論家/元AOPA JAPAN理事)

航空評論家、各国の航空行政、航空機研究が専門。日本オーナーパイロット協会(AOPA-JAPAN)元理事

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