型破り設計の極み!?「最強すぎた軍用機」なぜ頓挫? 「伝説の旅客機」につながったその後
英国ではかつて、設計・コンセプトともに型破りの低空侵攻爆撃偵察機「TSR-2」が開発されたものの、実用化には至りませんでした。その後はどのようになったのでしょうか。
「最強」のスペックだったはずの戦闘機
英国ではかつて、コンセプトも設計も型破りの低空侵攻爆撃偵察機「TSR-2」が開発されていました。しかし、残念ながら計画はキャンセルされ、今は2機が残るのみ。そういったことから悲劇の機体と呼ばれています。しかしこの機は後年、航空機の歴史を変えたモデルへと生かされました。
TSR-2は1964年9月に初飛行。この機は、核爆弾を搭載してレーダー網に引っかからず超低空で攻撃をしかけたり、高速偵察を行ったりするなど、複数のミッションをこなす野心作として期待され、まさに当時としては「最強の性能」を持ち合わせていました。
また、鋭い姿の機体は航空自衛隊でも使われたF-104戦闘機も知られていますが、TSR-2はF-104より全長が10mほど長いうえ、翼端が下がり低空侵攻向きの小さい主翼を持ちます。そのルックスは、猛禽類のような印象を見る者に与えるほどです。
しかし、初飛行から約半年後、この機の計画はキャンセルされました。これは、当時の政治的判断によるもので、それゆえに悲劇の機体と呼ばれたのです。
現状、TSR-2は2機が英国内の博物館で展示されているのみです。しかし、そのほかに、この機の操縦室部分のみが、英国・サリー州のブルックランズ博物館に展示されています。
操縦室部分は、長さ約6mの「箱」にしか見えません。外板に出たリベットの頭や補強材から建築現場で使う何かなのかと想像してしまいますが、前後の風防と、傾斜し細くなる前の部分から何とか操縦室部分と分かります。
なぜこのような飛行機らしからぬ武骨な姿をしているのでしょうか。それもそのはず、この操縦室部分は自身が飛ぶためではなく、「ほかの機体を飛ばすため」につくられたのです。
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