「プロペラ裏からズドドドって弾が!?」“フォッカー懲罰”プロペラ撃ち抜かないを搭載した初の戦闘機が与えた衝撃とは

ドイツのイメージ戦略の勝利だった?

 どうやら、この時期、連合国軍側は、ドイツが戦闘機を開発したという情報は入手していたものの、その能力については甘く見ていたようなのです。

 その戦闘機を使ってドイツが想定以上の猛烈な反撃を見せたため、大慌てになってしまったというのが実情のようです。当初の損害は大して大きくなかったものの、「ドイツの強力な戦闘機の登場」対「自国の攻撃力のない飛行機」という構図に兵士たちの士気は大きく下がりました。

 さらに加えて、メディアは「フォッカーの懲罰」「フォッカーの餌食」などという言葉を使って、自国のふがいなさを叩きます。その一方、ドイツ軍はマックス・インメルマンやオズヴァルト・ベルケといったエースパイロットを使っており、ドイツ航空部隊の高い能力を見せつけるような宣伝工作まで目立ち始めます。この「フォッカーの懲罰」は、イギリス軍が自国メディアによって自滅したメディア戦略の失敗であったとも捉えることができるでしょう。

 事実フォッカー「アインデッカー」の武装システムは先進的でしたが、ほかの部分は戦前レース機がベースになっており戦闘機としては力不足な部分もありました。そのため、同調装置こそ持たないものの、新たにイギリス開発された推進式機のFE2や機銃を上翼中央に取り付けたフランスのニューポール11でも対抗するようになった1916年初頭には、ドイツ軍の空での優勢は終わります。そして、同調装置を搭載した機体を連合軍が投入すると、さらに激しい戦闘が空で展開されるようになりました。

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第一次世界大戦末期に登場したフォッカー D.VII(画像:アメリカ空軍)。

 なお、第一次世界大戦の終結間際である1918年1月、ドイツ軍は新型戦闘機としてフォッカー D.VIIを投入しました。この新型戦闘機は極めて優秀であり、すでにドイツは敗戦の色が濃厚であったにもかかわらず、一瞬「フォッカーの懲罰再び」という機運が高まったほどでした。

 その直後に終戦となったため、二度目の「フォッカーの懲罰」は幻に終わりましたが、戦勝国となった連合国側はドイツにフォッカー D.VII前期の引き渡しを要求しています。翻ると、それほどまでにフォッカーの戦闘機は優秀だったと言えるでしょう。

【了】

【あれ機銃は…そこか!】プロペラを撃ち抜かないために変な場所に付けたニューポール11(写真)

Writer: 凪破真名(歴史ライター・編集)

なぎはまな。歴史は古代から近現代まで広く深く。2019年現在はフリー編集者として、某雑誌の軍事部門で編集・ライティングの日々。趣味は自衛隊の基地・駐屯地めぐりとアナログゲーム。

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