「ほぼ中国」の至近距離が「台湾」のワケ 緊張感バチバチの島「金門島」どんな場所? 背景に日本人

台湾の離島のなかで、中国大陸の眼と鼻の先に位置する「金門島」。4年半ぶりに一部の渡航が解禁されました。中台関係の緊張感が最も間近に伝わる島がなぜ“台湾”になったのか。その背景には日本人がいました。

文化的にも「ほぼ中国」でも「台湾」

 台湾には大きく7つの離島が存在します。このうち、西側の台湾海峡には澎湖諸島、馬祖島、金門島の3つがあり、いずれの島々も美しい自然を有する一方、万一の有事に備えた軍事施設などがあり、ピリピリした雰囲気を合わせ持っています。
 
 なかでも、最も緊張感があるのが金門島です。その金門島への渡航が2024年9月、団体旅行に限り4年半ぶりに解禁されました。

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手前が金門島。奥には中国大陸が広がる(画像:Google earth)。

 金門島は台湾本島から200km以上離れる一方、福建省・厦門(アモイ)までは最短距離で約2km。地図を俯瞰で見れば、福建省に食い込んでいるようにも映ります。

 1949年に中国国民党政府が台湾に移って以降、金門は中国との戦いの最前線であり続け、複数の大戦や砲戦の現場となりました。そして、昨今の台湾と中国の関係においても、さらに緊張感が高まり、美しいはずの海岸には上陸防護柵が張り巡らされ、各所に軍用施設や軍用道路が存在する島です。

 筆者は今ほどの緊張感がなかった2016年に金門島を訪れました。確かに島の随所に軍事施設があり、それと相反するかのような穏やかな印象の福建様式の家屋が立ち並ぶという独特の雰囲気を醸し出していました。

 この頃は、今ほど中台関係がピリピリしているわけではなく、中国大陸の厦門と金門との間で双方の人々がフェリーで行き来できる状況でした。そのため、歴史上の激戦区跡や、旧軍事施設の見学を目当てに多くの中国人観光客が訪れていて、筆者も彼らに混じって各所を散策しました。

 数々の激戦を経験した金門島ですが、戦後まもなくして活躍した、ある日本人司令官のエピソードがあります。

 1895年から1945年までの50年間、日本は台湾を統治していましたが、敗戦が決まり台湾から撤退せざるを得なくなりました。そうしたなか、金門島が結果的に台湾の一部として残っただけでなく、台湾そのものの存立につながったのには、日本陸軍司令官だった根本 博が関係しています。

【なんと生々しい】これが「金門島」の内部です(地図/写真)

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