上野駅「出入口ではない出入口」なぜできた? もうすぐ100歳の「謎の階段」は歴史の生き証人だった
「出入口ではない出入口」が、東京の地下鉄上野駅に存在します。現在、その階段は駐車場の専用口として機能していますが、実は戦前の銀座線開業にあわせて造られました。その100年近くにおよぶ長い歴史と、少しずつ変わっていった姿や役割を追います。
バイク駐車場直結口の謎
東京の地下鉄上野駅には「出入口ではない出入口」が存在します。それがあるのは銀座線浅草方改札前と日比谷線入谷方改札前をつなぐ通路の途中、日比谷線方面に向かって右側です。
一見すると普通の出入口の階段ですが、「上野駅前自動二輪車駐車場専用口」であり「出入口ではありません」との注意書きが。階段付近に人感センサーが設置されており、近づくと音声案内も流れます。十数年前はフリーペーパーを配布するラックに隠れて、通路から見えにくかった時期もあったと記憶していますが、今は逆に堂々としすぎています。
この駐車場は台東区の管理ですが、元々は国土交通省所管の財団法人、駐車場整備推進機構が整備したものです。いわゆる天下り団体であるとして機構の廃止が決まり、2012年10月から台東区が管理を引き継ぎました。
駐車場がいつから存在するのか、機構は解散済みで、台東区に聞いても分からないとのことでしたが、機構は1993年に設立されていることから1990年代に開業したと思われます。
しかし、この階段は駐車場のために設置したものではありません。それどころか、日本初の地下鉄として東京地下鉄道(東京メトロの前身)浅草~上野間が開業した1927(昭和2)年から存在したのです。
1927年と1961(昭和36)年の駅平面図を比べてみると、銀座線と日比谷線をつなぐ連絡通路は、日比谷線の計画が存在しない開業当初からあったことが分かります。
わざわざ長い連絡通路を設置したのには二つの理由がありました。一つは1931(昭和6)年に開業した東京地下鉄道の駅ビル「地下鉄ストア」との接続、そしてもう一つが、通路の中間にある路面電車(市電、1943年から都電)との乗換口の設置です(以下、都電口)。
上野駅前には、昭和通りを縦断する路線(平面図では左から右の路線)と、浅草通り・中央通りを東西に結ぶ路線(左上から右下の路線)が走っていました。前者は1969(昭和44)年、後者は1972(昭和47)年に廃止されますが、地下鉄と路面電車が共存した45年間、両者の乗り継ぎは重要な課題でした。
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