「売れるわけない」 ビッグなアメリカで小さな「スーパーカブ」がなぜ大ヒット? “世界のホンダ”はこうして誕生した
スーパーカブで日本を席捲したホンダが、海外へ初進出したのがアメリカです。何もかも大きいアメリカで、最も小さいモデルだったスーパーカブが大ヒットしたのはなぜでしょうか。日本の原付の発展は、その成功あってこそかもしれません。
「海外初進出地」としてアメリカを選んだホンダ その結果…
高出力、好燃費、メンテナンスフリーという三方ヨシの超画期的モデルとして1958年に登場した「スーパーカブC100(50cc)」は、日本の原付市場を切りひらく存在にもなりました。日本国内では2025年をもってスーパーカブの50ccモデルが67年の歴史に幕を閉じることが決まり(110ccモデルは生産継続)、何かと世間を騒がせていますが、他方で50ccのスーパーカブは世界中でも親しまれたバイクでもあります。
特にスーパーカブC100誕生から程なくして絶大な評価を受けたのがアメリカでした。
ホンダはスーパーカブC100開発と並行して、海外進出を目指していましたが、世界の中でも当時のアメリカは、バイクの人気がなく年間6万台しか売れていませんでした。当時のヨーロッパが年間200万台もの大市場だったことを考えれば、アメリカの市場はごく限られたものでした。
ただし、当時のホンダは「バイクの楽しさをアメリカ人はまだ知らないかもしれない」と考えながら、海外進出の一歩をアメリカから始めることにします。あえて難しいと思われるところから始めるのが当時のホンダの精神でもありました。
果たしてホンダはスーパーカブC100発売の翌年の1959年に、現地法人としてアメリカ・ホンダ・モーターを設立します。
想像通り当初は苦戦を強いられ、初年度の販売台数はたった170台。当時のアメリカのバイクユーザーは、大排気量のハーレー・ダビットソンやイギリスの輸入車などを好んだのに対し、ホンダがアメリカに輸出したのは305cc、250ccなどと125cc以下のミニバイクだけ。アメリカのバイクユーザーのほとんどは、まだ名もないホンダのバイクに見向きもしなかったそうです。
コメント