「売れるわけない」 ビッグなアメリカで小さな「スーパーカブ」がなぜ大ヒット? “世界のホンダ”はこうして誕生した
スーパーカブで日本を席捲したホンダが、海外へ初進出したのがアメリカです。何もかも大きいアメリカで、最も小さいモデルだったスーパーカブが大ヒットしたのはなぜでしょうか。日本の原付の発展は、その成功あってこそかもしれません。
「アメリカでは売れるはずない」と思われたカブが大ヒットに
「305cc、250ccのバイクが売れないとなるとこれは大変。スーパーカブC100は日本では大ヒットしているが、アメリカでミニバイクが売れるわけがないし、アメリカでの市場開拓は想像以上の大苦戦を強いられるかもしれない」
……当時のアメリカ・ホンダ・モーターのスタッフはこんな風に落胆しますが、しかしホンダがアメリカに持ち込んだバイクのうち、1台だけ多くのアメリカ人が注目したバイクがありました。
それが「ホンダ50」、スーパーカブC100とほぼ同じの輸出向けモデルでした。
当時のアメリカ人にとっては、この小さなバイクが「トイバイク」のように映り、例えばキャンプ、狩猟、釣り、牧場などに行く際、ピックアップトラックやキャンピングカーにホンダ50(スーパーカブ)を載せていき各地での「軽い移動」の際に使われるようになっていきました。
結果的に、ホンダ50(スーパーカブ)はアメリカ・ホンダ・モーター設立から3年後の1961年には月間1000台超え、さらに4年後の1963年には年間4万台の大ヒットに至り、アメリカで新しいバイクブームを巻き起こしました。
あまりに売れたせいでアメリカ・ホンダ・モーター社長(日本人)自ら、トラックにホンダ50(スーパーカブ)を乗せて納車するほどだったとも言われています。
1990年台出向でタイに住んでいました。カブは110ccでしたよ。
他の国も110がメインで、世界中で売れまくっていたカブはこれでは?