導入の熱意が警察・国を動かした! 東久留米の激レア「赤バイ」阪神・淡路大震災で活躍し全国へ
東京消防庁の東久留米消防署が平成初頭に導入した赤バイ。この車両は日本の消防史に重要な足跡を記した存在でした。画期的だったオリジナル赤バイの経緯と、阪神淡路大震災での活躍をひも解きます。
阪神・淡路大震災での活動が全国的な赤バイ復活へ
1995(平成7)年1月17日に起きた阪神・淡路大震災に、東久留米市消防本部(当時)も応援部隊を派遣します。このとき白羽の矢が立ったのが「パルペア」こと救急用自動二輪車でした。
派遣は2月上旬、すでにがれきなどは撤去されており、東久留米から派遣された救急用自動二輪車は神戸市の東灘保健所を拠点に、市内各地の救護所へ医薬品搬送を担ったそうです。記録には2月2日から2月11日までの10日間、多い日は50数回もの搬送要請に応えたと明記されていました。
この現地での救急用自動二輪車の活躍が、新聞をはじめとした各メディアで報じられたことにより、その後の「赤バイ」の再登場につながったようです。
ただ、東久留米の救急用自動二輪車は、2003(平成15)年に情報収集用へ運用が変更されています。理由は市内の道路事情が改善されたことで、救急車と二輪車とで現場到着までの時間がほぼ変わらなくなったことなどにより、二輪車の出動が減ったからでした。
そして2010(平成22)年3月31日、東久留米市の消防業務が東京消防庁へ移管(委託)されたことに伴い、部隊編成が変更されることからスズキGS400Eベースの救急用自動二輪車「パルペア」は運用を終了、退役しています。
話によると、まだ使えたGS400EはNPO法人「救難バイク協会」へ寄贈されるなどしたため、現在は写真しか残っていません。しかし、日本初の救急用オートバイとして導入され、阪神淡路大震災などで重用されたことが、その後の消防活動二輪車を普及させた一助となっていることは間違いないでしょう。
ちなみに、消防活動二輪車というと、全国的にはオフロードタイプが圧倒的に多いものの、一部の消防組織ではスクータータイプやロードスポーツタイプなども調達・運用されています。
Writer: 柘植優介(乗りものライター)
子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。
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