導入の熱意が警察・国を動かした! 東久留米の激レア「赤バイ」阪神・淡路大震災で活躍し全国へ

東京消防庁の東久留米消防署が平成初頭に導入した赤バイ。この車両は日本の消防史に重要な足跡を記した存在でした。画期的だったオリジナル赤バイの経緯と、阪神淡路大震災での活躍をひも解きます。

全国から注目集めて法律も改正へ

 この東久留米市の取り組みは、全国から注目を集めたことで、国が動きます。自治省(現、総務省)消防庁が道路交通法の改正を警察庁に申し入れたことで、緊急自動車の規定に救急用オートバイが付加されることになり、晴れて正式に救急用自動二輪車として運用できるようになります。

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阪神・淡路大震災で被災地を走る東久留米市消防本部(当時)の救急用自動二輪車「パルペア」(画像:東京消防庁東久留米消防署)。

 東久留米の救急用自動二輪車には、「パルペア(PAL2)」という愛称が付けられ、最終的に4台(寄贈2台、市費調達2台)が整備されています。ちなみにこの愛称、パル(PAL)が「Paramedic Auto-Liner」の略で、後ろ半分のペア(2)というのは、常に2台一組で行動するという意味だといいます。

 運用は救急車隊が担当。5名体制で、出動がかかった場合、まず救急救命士2名がオートバイで目的地まで先発。その後、救急車に3名(これは救急救命士資格のない隊員でも可)が乗車して後着。そこで先発の救急救命士2名が救急車の運転士とともに病院へ向かう一方、後着した隊員2名はオートバイを回収し、消防署へ戻るという運用形態だったそうです。

 ただ、当時を知る人の話によると、オートバイは目立たないからか、緊急走行しても救急車や消防車と異なり一般車が停まってくれないことが多々あったといいます。そういったこともあり、事故などを予防する観点から新青梅街道などの幹線道路を走ることはしなかったと述べていました。

 そして、さらに東久留米市の救急用自動二輪車が全国の消防から注目を集めることになったのが、運用開始の2年後に起きた阪神・淡路大震災でした。

【製作途中の試行錯誤も】東久留米や東京消防庁の各種赤バイ(写真)

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