ヤマハさーん!「楽器ですかエンジンですか?」 元は一つ 楽器屋がなぜバイクメーカーになったのか
元々ピアノなどに代表される楽器の分野で日本トップブランドだった「ヤマハ」。現在ではヤマハ発動機がバイクやマリン製品、電動アシスト自転車など幅広く開発し、そのきっかけとなったのが「赤とんぼ」ことYA-1でした。
ついに誕生したバイクの愛称は「赤とんぼ」
開発スタートから2年ほどが経過した1955年2月、ついにヤマハは自社製バイク第1号、ヤマハYA-1を出荷。それは、125cc・5.6馬力の2ストロークエンジンを搭載したバイクでした。
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また、黒色一辺倒だった当時のバイクの中で、「栗毛の駿馬」をイメージした茶褐色とクリーム色のコンビカラーがオシャレで「赤とんぼ」という呼称を得ながら大いに注目を集めました。
ただ、当時は1万円紙幣もまだなく、会社員の初任給1万円前後という時代にしてその価格はなんと13万8000円。他社製の同等モデルに比べて、2万円ほど高かったこともあり、発売当初の売り上げは芳しい物ではありませんでした。
しかし、のちに始動の早さや機能性、スリムな印象のオシャレな外観が知られるようになると、取り扱い店舗が徐々に増え、バイク事業は軌道に乗り始めました。
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