「黒字だけど廃線」いまや“ドル箱路線”に 地域のバス最大手が“鉄道をやめた”ワケ
赤字ローカル線の存廃が取りざたされることはよくありますが、現在の岡山市では利用者数が堅調だった鉄道の「黒字路線」が廃止されました。一体、なぜでしょうか。バスに転換されたその路線は、今やグループの屋台骨となっています。
「昔はターミナル駅でした」感がバリバリ!?
筆者(大塚圭一郎:共同通信社経済部次長)は西大寺鉄道の面影をたどろうと、西大寺市駅の跡地へ向かいました。現在は両備HDの西大寺バスセンターとなり、岡山駅と結ぶ西大寺本線は「両備グループで一番のドル箱路線」(両備HDの小嶋光信会長)に育っています。
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バスセンターでは西大寺鉄道が使っていた線路を舗装に埋め込み、バスの誘導ラインとして使用。構内に残る旧西大寺鉄道本社の木造平屋の建物は、両備バスの営業所として活用されています。その隣には移設された旧財田駅舎があり、今はバス運転手の休憩所になっています。
バスセンターの前には、西大寺鉄道の廃線時まで走った車両「キハ7号」も保存・展示されています。唯一現存する線路幅914mmの気動車で、2004年に産業考古学会の「推薦産業遺産」に認定されました。
キハ7号は川崎車輌(現・川崎車両)が1936年に製造し、当時流行していた丸みを帯びた車体の前後に荷物台を付けています。定員は60人で、荷物台は利用者の荷物や自転車を収容しただけではなく、人も乗っていたというから驚きです。
同車はガソリンエンジンを搭載し、SL列車からのスピードアップを果たしました。ところが、日中戦争の拡大後にはガソリンが手に入らなくなり、自慢のガソリンエンジンが宝の持ち腐れになってしまったとか。戦後はディーゼルエンジンに換装されています。
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