改装に次ぐ改装… 最新戦艦→空母艦隊の中心へ成り上がった「赤城」 最初はダメダメだったけど

太平洋戦争の緒戦で航空母艦6隻を中心とした南雲機動部隊は、アメリカ、イギリスの艦隊相手に大きな戦果を挙げます。その旗艦が空母「赤城」でした。巡洋戦艦になるはずが、改装を受け続けて空母となった武勲艦について紹介します。

イギリスを参考にした「3段式飛行甲板」は問題点噴出

 条約により想定外の大型空母を持つことになった日本は、イギリスに空母設計の支援を求め、イギリスは保有空母の情報を日本に提供します。当初は「ハーミーズ」を参考に、全通式と呼ばれる1枚の飛行甲板を持つ艦型や、飛行甲板上に20.3cm主砲塔を3~4基装備することも検討されましたが、最終的には「フューリアス」を参考に、航空機の発着艦が同時にでき、飛行甲板上に主砲塔を配置しない多段式が採用されました。

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1939年4月、宿毛湾で撮影された「赤城」。飛行甲板は1段全通式となっている(画像:アメリカ海軍)

 見た目は「3段式飛行甲板」の「赤城」ですが、2段目は主砲塔を配置する砲甲板であり、艦載機の発進用ではありませんでした。1927(昭和2)年の完成時、艦載機数は常用48機、補用12機の計60機で、最大110機搭載といわれるアメリカの巡洋戦艦改造空母である「レキシントン」級には見劣りしました。なお、日本の空母は予算不足から、平時は定数一杯まで艦載機を搭載しないことも多くありました。

 ただ、「赤城」には多くの問題点がありました。荒天時、低い位置にある下段の発艦甲板から格納庫に海水が入ることや、そもそも発艦甲板が短くて大型化する新型艦載機の運用に適さず、着艦用を想定した上段の甲板で発艦させるしかないなどです。これらは、多段式空母の意味を否定するようなものでした。

 加えて多段式の影響で発着甲板(上段甲板)の長さが190mと短いため、艦載機を待機させるスペースがなく、1段式飛行甲板のアメリカ空母よりも艦載機運用能力で劣っていました。ほかにも、着艦時に機体に引っ掛けてブレーキとする、イギリス式の縦索式制動装置は不具合が多く、この装置のために飛行甲板に傾斜を付けたこともあって、艦載機を人力で動かしにくいのも問題でした。

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