旧海軍屈指のブッ飛び設計戦闘機「震電」、現在は驚愕の姿に! “初飛行直後に終戦”のその後
実戦投入こそならなかったものの、そのユニークな設計で現代も根強い人気を持つ戦闘機「震電」。終戦後、この機体は「機首と前部胴体のみ」という形で、アメリカに展示されています。
「先尾翼」はメリットあるも…
終戦間際に初飛行に成功したものの、実戦投入は実現しなかった旧日本海軍の戦闘機「震電」。「異端の翼」という異名も持ち、主翼が後ろにある前後が逆になったようなスタイルを持つこの機は、その設計の斬新さなどから、映像作品に登場するケースも多く、2025年現在に至ってもなお、人気がある機体です。

震電の前後が逆になったようなデザインは「先尾翼」や「エンテ型」と呼ばれ、武装を機首に集中できるうえ、胴体スペースも有効活用できることが古くから知られていました。反面、プロペラを後ろに付けるため脚を長くせざるを得ないといった不便もあり、そのスタイルは広まりませんでした。
それらのデメリットを承知で震電が作られたのは第2次世界大戦末期、日本空襲を続けるB-29を撃墜するためでした。機首にエンジンを付けない流線型のスタイルで最高速度は時速740kmを目標とし、4門の30mm機関砲の機首への集中装備で射撃精度を上げる高い攻撃力が期待されました。
しかし、震電が初飛行したのは終戦直前の1945年8月3日。終戦後、その機体は日本軍の調査を行うためアメリカへ運ばれてしまいました。
それから80年――。震電は米国ワシントンD.C.にあるスミソニアン航空宇宙博物館の倉庫で分解保存された後、現在はスミソニアン航空宇宙博物館の別館スティーブンF.ウドバーハジー・センターに展示されています。とはいえ、展示されているのは機首と前部胴体のみ。倉庫で眠り続けた後に同センターに運び込まれた際は復元へ期待がかかりましたが、まだ実現はしていません。
復元には資金などの問題もあると思われるものの、このほかに、かつて聞いたスミソニアン航空宇宙博物館の修復への考え方があると筆者は考えています。
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