幻の地下鉄直通案も!? 「京葉線」のターミナルが結局“遠すぎる東京駅”に決まったワケ
貨物線として構想された京葉線は、その後の沿線の開発計画や社会情勢の変化にあわせて計画も変容していき、結局は貨客併用で開業しました。ターミナルの位置や地下鉄有楽町線との関係などが現在の形に決着するまで、どのような経緯があったのでしょうか。
「総武開発線」のターミナル、どこにする?
そうした中、総武線をとりまく状況はさらに変化していきます。激しい反対運動で計画が遅れていた成田空港の開港はようやく目途が立ちますが、アクセス路線として計画された成田新幹線の整備は難航しており、総武線経由で空港アクセス輸送を行う必要性が出てきました。
もう一つが埋め立て計画の変化です。オイルショックで重化学工業が停滞した一方、東京近郊の急激な人口増加と都市化の進展を受けて、千葉県は開発計画を「量より質」へ転換。当初面積の7割程度だった工業や港湾業務施設は最終的に5割に減じ、当初1割前後だった住宅や緑地帯は2~3割へと大幅に増加。これにより埋め立て地域の計画人口は48万人になりました。
住宅建設が先行して進む西船橋~蘇我間は、総武線や京成線に出る旅客でバスはパンク状態になっていたことから、東京都、千葉県など沿線自治体は京葉線で旅客輸送も行うよう国鉄、鉄道公団に強く要望しました。
そこで国鉄は1970年代後半、海浜ニュータウンなど埋立地の通勤輸送、千葉以遠の輸送サービス改善、成田空港輸送に対応すべく、京葉線を貨客併用または複々線化して千葉方面と都心を結ぶ「総武開発線」の検討に着手します。
問題はターミナルの選定でした。国鉄は当初、新木場から辰巳・有明・晴海を経由して、第2東海道新幹線(リニア計画の前身)のターミナル候補地だった新橋に乗り入れたいと考えていました。さらに将来は新橋から四ツ谷・新宿を経由して中央線三鷹付近まで延伸し、中央線の輸送改善を図る構想でした。
一方、1972(昭和47)年の都市交通審議会答申第15号は、地下鉄8号線(有楽町線)を有楽町から豊洲・辰巳を経て新木場に延伸し、さらに海浜ニュータウンまでの延長を検討。さらに非公式ながら、新木場で総武開発線と8号線が相互直通運転を行うという案もありました。
しかし地下鉄はあくまで通勤・通学輸送が主な役割であり、中長距離輸送も担う総武開発線とは全く性質が異なります。1面2線の小規模な地下鉄駅では東京駅に代わるターミナルにはなりえないため、地下鉄を介した都心乗り入れではなく、独自の都心ターミナルが必要というのが国鉄の立場でした。





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