幻の地下鉄直通案も!? 「京葉線」のターミナルが結局“遠すぎる東京駅”に決まったワケ

貨物線として構想された京葉線は、その後の沿線の開発計画や社会情勢の変化にあわせて計画も変容していき、結局は貨客併用で開業しました。ターミナルの位置や地下鉄有楽町線との関係などが現在の形に決着するまで、どのような経緯があったのでしょうか。

京葉線と成田アクセスは表裏の関係

 ただ、そうなると新橋という立地も微妙なところです。1970年代の国鉄は東京駅一極集中を改善するため、新宿駅をはじめとするサブターミナルの育成に注力していましたが、利用動向は依然として東京駅に集中していました。総武線方面は東京、房総方面は新橋という住み分けが想定通りに機能したとは思えません。

 結局、鍛冶橋付近に地下線で乗り入れる現行ルート(新木場~東京)が決定し、1983(昭和58)年7月に工事実施計画が認可されました。ここは成田新幹線東京駅の予定地でしたが、すでに同年5月に計画凍結が決定しており、もはや場所を確保しておく必要がなくなっていたのです。

 貨物線計画からそのまま名前を引き継いだ「京葉線」は1988(昭和63)年までに新木場~蘇我間、1990(平成2)年に東京~新木場間が開業し、30年越しの構想は形を変えて実現しました。

 開業前、1990(平成2)年4月のダイヤを見ると、東京駅からは房総方面の「わかしお」「さざなみ」が計25本、総武線方面の「あやめ」「しおさい」「すいごう」が計15本で、両国発の「あやめ」1本を除くと、ほぼ全ての特急を東京駅が引き受けていました。

 それが1993(平成5)年のダイヤを見ると、東京駅の京葉線ホームから「さざなみ(ビューさざなみ、ホームタウンさざなみ含む)」「わかしお(ビューわかしお、ホームタウンわかしお含む)」が各14本、総武線ホームから「しおさい」「すいごう」「あやめ」計11本、「成田エクスプレス」が計23本運行しており、成田アクセス参入と京葉線は表裏の関係にあったことが分かります。

 一方、千葉以遠の鉄道需要は道路整備や人口減少の影響で減少傾向にあり、現行ダイヤでは「成田エクスプレス」こそ27本に増発しましたが、内房線・外房線・総武線特急は「しおさい」7本、「わかしお」11本、「さざなみ」4本に減少しています。

 房総方面の主要ルートと位置付けられた京葉線も、内房線・外房線直通の通勤快速が廃止されるなど大きな変化を迎えており、総武線・京葉線がどのように共存共栄していくのかが問われています。

【計画図】京葉線の都心ルートと「総武開発線」との複々線化構想を見る(画像)

Writer:

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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