「ブルーインパルス」のルーツはライト兄弟が作った!?「歴史上の偉人」が生んだ知られざる「初めて」(後編)
ライト兄弟は、1903年12月17日に世界で初めて「制御された動力飛行」に成功したことで知られています。これだけでも歴史に名を残したといえるのですが、それ以外にもさまざまな航空分野での「初めて」を記録しています。
世界初のプロパイロット集団という一面も
パイロットたちは週給20ドル(飛行した日は日給50ドル)で契約しており、世界最初のプロパイロット集団でもありました。ただ飛行するだけでなく、現代でいう曲技飛行のルーツともいえる、旋回をともなう急降下や急上昇といった「スタント飛行」も実施し、観衆を楽しませています。
しかし、草創期の飛行機では危険がともなうことも、また事実です。1910年11月17日、コロラド州デンバーで「ライト・モデルB」(ライト機で初めて水平尾翼と垂直尾翼が機体後部に設けられたモデル)によるスタント飛行を披露していたチームのラルフ・ジョンストンが、同僚のウォルター・ブルッキンズが考案した「スパイラル・ディップ」という急降下する課目で機体が空中分解し墜落、命を落としました。
同年12月31日には、ライト飛行学校の教官も務めるチームのエース的存在だったアーチボルド・ホクシー(セオドア・ルーズベルト元大統領の乗る飛行機を操縦したことでも知られる)が、26日に自らが樹立した1万1474フィート(約3497m)の高度世界記録を更新しようと上昇中にコントロールを失い、墜落死しています。
立て続けにパイロットを失ったことを受け、チームは新しいメンバーを加えながら全米25か所で展示飛行を続けましたが、事故に心を痛めたライト兄弟が活動終了を決意。1911年11月にチームは解散しました。
ライト兄弟の飛行学校は1916年まで存続し、卒業生の中には日本やドイツに対する「焼夷弾によるじゅうたん爆撃」で知られるヘンリー・“ハップ”・アーノルドや、第一次世界大戦のエースパイロットで、女性パイロットのアメリア・イアハートの教官を務めたオリバー・ルボウティリエらがいます。





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