「雷電」を作った少年たちを忘れない――東名高速の「渋滞名所」近くにたたずむ「ナゾのド派手“休憩スペース」の正体 「日本は寒かったですよ」
神奈川県大和市内の公園「ふれあいの森」には、「台湾亭」という台湾式の休憩スペースが設置されています。その背景には、旧日本軍の「名機」を作った少年たちの記憶がありました。
戦後世相が混乱する中でも立派だった少年工たち
やがて終戦になると、各地から大和の少年工が暮らす寄宿舎に集められ、台湾出身の少年で一杯になりました。世相が混乱する中でしたが、ここでも少年工たちは年長の指導者を中心に、役割分担をしながらまとまり秩序を守り集団生活をしていたそうです。後に、その多くは犠牲になった少年工の遺骨や負傷者と付き添い人から順に台湾へと帰って行ったといいます。
また、帰国した少年工の一部は工場の卒業証書を受け取り、台湾へと持ち帰ることができたものの、多くの人たちは得られなかったともいわれています。しかし元少年工たちは、大和の工場で習得した技術・精神力をさらに昇華させ、台湾の工業化の中核として活躍した人も多く存在します。
後には、日本の大和で苦楽をともにしたことを懐かしく思い、「高座海軍工廠」の名にちなんで「高座会」という同窓会が結成されます。中には、少年工時代に交流のあった日本人との友情を生涯大切にする人もいました。
そして、この「高座会」の元少年工らが、この地で亡くなった同士への鎮魂と平和への想いを込めて、1997年に「ふれあいの森」の一角に「台湾亭」を建設しました。その費用は約2000万円と言われ、工費は関係者や少年工への敬意を持つ日台の人々からの寄付で賄われたといいます。
あの雷電製造に従事した台湾出身の少年工たちの思いが詰まった「台湾亭」は、日本と台湾の絆を深めた舞台の一つであると言って良いでしょう。「ふれあいの森」に近く大和トンネルに隣接した善徳寺には「戦没台湾少年の慰霊碑」もあります。
Writer: 松田義人(ライター・編集者)
1971年、東京都生まれ。編集プロダクション・deco代表。バイク、クルマ、ガジェット、保護犬猫、グルメなど幅広いジャンルで複数のWEBメディアに寄稿中。また、台湾に関する著書、連載複数あり。好きな乗りものはスタイリッシュ系よりも、どこかちょっと足りないような、おもちゃのようなチープ感のあるもの。





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