赤ちゃんは迷惑なのか? 授乳、ぐずり…交通機関どう応える?
赤ちゃんを抱えて公共交通を利用する人には、さまざま苦労や悩みがあるようです。「心配で出かけられない」という人もいるなか、交通機関や社会は、赤ちゃん連れにどう向き合っているのでしょうか。
赤ちゃんがいると出かけられない?
赤ちゃんを抱えて交通機関を利用するには、さまざまな課題が立ちはだかります。移動中の授乳はどうするか、おむつを替えられる場所はあるか、泣き出して迷惑をかけないか……ある育児用品メーカーが2016年12月から公開している動画『電車で授乳』も、そんな赤ちゃん連れの苦労を浮き彫りにしています。
動画は、走行する電車内で泣く赤ちゃんに周りの視線が集まるなか、母親はその場で赤ちゃんに授乳を始めるという内容です。母親は肌を晒さず授乳できる「授乳服」を着ています。
「約20年前、当社の代表が電車内で授乳し、周りの注目を浴びて恥ずかしい思いをしたことが、授乳服をつくったきっかけです。電車内でも授乳ができる点を表現するためにこの動画を制作しました」
そう話すのは、授乳服メーカー、モーハウス(茨城県つくば市)の稲場さんです。授乳服には、お母さんが「赤ちゃんがいると出かけられない」ということにならないようにする、つまり、行動の制約から解放する目的があると稲場さんはいいます。
「行動の制約」という観点からは、主婦の友社 販売・広報部の長友さんも、「たとえば赤ちゃんと旅行したいけれど、移動中に赤ちゃんが泣き出して周りに迷惑をかけるのが心配で出かけられない、と思っている親はたくさんいます」と話します。
列車内などで泣き出した赤ちゃんに対し、周りの人も一緒にあやしたといったエピソードもあれば、その場で怒鳴り散らす人もいたなど、インターネット上でもさまざまな目撃談があります。
また赤ちゃんの泣き声だけでなく、たとえ母親が肌を隠していたとしても、公共の場で授乳することそのものを嫌がる周囲の人もいると稲葉さんは話します。
「ななつまでは神のうち」という。かぞえの七歳(干支半回り)までは人ではなく神である。かぞえの七歳から人になりはじめ、十三歳(干支一回り)で人になる。小学校以前は神であるから、乳幼児が騒ぐのは「神の千早振り」という。宗教心というか信仰心というか、人々はそんなことどもをおもいだしてよい。
一番迷惑なのは怒鳴り散らすおっさん共。いい年した大人が公共の場で大声だして恥ずかしくないのか。
最近の風潮として、赤ちゃんや保育園児・幼稚園児など子供に対するバッシングをよく見聞きする。子供は、将来の大人であり、納税者であり、国家を支える大事な存在だという認識が足りない、近々世を去る高齢者が「保育園がうるさい、静かに暮らしたい、その権利がある」とは情けない。
また、トイレ内に設置してある赤ちゃん用のおむつ替え台に汚れたカバンや服などを平然と置いて用を足す姿などは慄然とする。赤ちゃんの皮膚が汚染されてしまうというリスクへの配慮が全く感じられない。
今や、我が国は弱い立場の子供への心配りが消失しつつある薄っぺらな、余裕のない国になってしまったようだ。昔は、「国破れて山河在り」といったものだが、多分この先「国破れば、人も山河も滅びる、全滅する。」
いずれ粗略に扱われた子供(将来の大人)からの逆襲がはじまるであろう
保育園幼稚園大歓迎。どんどんこい。
老人ホームなんぞより全然いい。
子供のいない地域社会なんてうすら寒いだけ。
女性専用車よりも、赤ちゃん連れ専用車導入しようよ。
湘南新宿ラインとかのグリーン車も平屋席を赤ちゃん連れ専用にして、特別料金なしで乗せてあげればいい。
そういう政策だったら、誰も文句言おうとは思わないよ。
大賛成だが、あんまり赤ちゃんや上手く会話が出来ないうちから外出させるのも可哀想という気がしないでもない。
幼稚園、保育園に上がった辺りから色々つれていってあげれば、と思う。
自分達も昔は乳幼児だったことは考えてて欲しい。忘れてるだろうけど。
全くもって。
加えて子供嫌いという人間の心理がわからない。
自分の過去、成長の過程を否定することになるわけで。
一種の“心の病”と言えそうだ。
正直赤ちゃん授乳全く問題ないと思う。ただ嫌らしい人もいるから、むしろ回りが守るの楽しめる位がいいと思う。今まで舌打ちする人に合わせすぎな気がします。