「成田新幹線計画」が形を変えて復活!? 半世紀眠り続けた“長ーい夢の跡”を活用 京成複々線化の歴史的意義
京成電鉄が、成田スカイアクセス線新鎌ヶ谷~印旛日本医大間の複々線化を検討すると発表しました。これにより「スカイライナー」などの所要時間短縮が見込まれますが、そもそも計画地には、成田新幹線の計画が深く関わっていました。
カギを握る「北千葉線」計画
カギを握るのは、千葉県営鉄道北千葉線の計画でした。同線は千葉県が千葉ニュータウンのアクセス路線として1973(昭和48)年に免許を取得しました。地下鉄10号線(都営新宿線)本八幡から新鎌ヶ谷経由で千葉ニュータウン中央、印旛日本医大に至る路線で、小室付近で合流する成田新幹線と印旛日本医大付近まで並走し、さらに成田まで延伸する構想がありました。
事業は2000(平成12)年に中止されますが、免許区間のうち小室~印旛日本医大間は千葉ニュータウンを開発した住宅開発公団に譲渡され、公団のもとで開業しました。京成高砂~小室間は北総鉄道が第1種鉄道事業者、小室~印旛日本医大間は千葉ニュータウン鉄道が第3種、北総が第2種、また全線通じて京成が第2種という複雑な関係は、このような歴史的経緯によるものです。
つまり本来、新鎌ヶ谷付近~小室間は北総線と北千葉線が、小室~印旛日本医大間は北千葉線と成田新幹線が並走する設計でしたが、実際には新鎌ヶ谷~小室間は北総線、小室~印旛日本医大間は千葉ニュータウン鉄道(北千葉線)しか敷設されなかったので、現在も1路線分が空いています。今回の複々線化構想は、このスペースを活用する計画です。
これらを踏まえて運輸省の調査委員会が検討した両案を見てみましょう。「A案」は国鉄を中心とした計画です。東京から京葉・武蔵野線を走行し、船橋法典~市川大野駅間から北千葉線に合流。そのまま同線の免許を活用し、印旛日本医大で成田新幹線のルートに入ります。
「A案」は成田新幹線の再整備と説明されることがありますが、反対運動で頓挫した計画を引き継げるはずがありません。成田新幹線東京駅予定地を転用した京葉線都心乗り入れルート(東京~新木場間)を核として、京葉線・武蔵野線と北千葉線の免許を組み合わせたプランです。
対抗馬が、後に成田スカイアクセス線として開業する「B案」です。こちらは上野乗り入れの「その1ルート」と、押上から都営浅草線に乗り入れる「その2ルート」があり、日本橋付近から分岐線を建設し、東京駅に乗り入れる案もありました。
空港方は「A案」と同様、小室~印旛日本医大間は公団線を使用し、以降は成田新幹線のルートを踏襲します。想定されたサービス水準は、「A案」が最速45分、1時間あたり2本、「B案」が47分(東京始発)、1時間あたり3~4本(上野方面含む)でした。





成田新幹線はリニアに変えて実現するべき
成田空港〜東京〜品川〜羽田空港にすれば空気輸送の成田エクスプレスの代わりになる
成田と羽田間はリニア新幹線とすべきだ。