「成田新幹線計画」が形を変えて復活!? 半世紀眠り続けた“長ーい夢の跡”を活用 京成複々線化の歴史的意義
京成電鉄が、成田スカイアクセス線新鎌ヶ谷~印旛日本医大間の複々線化を検討すると発表しました。これにより「スカイライナー」などの所要時間短縮が見込まれますが、そもそも計画地には、成田新幹線の計画が深く関わっていました。
「時代の変化」を受けて方針決定
結局、調査委員会は「A案」「B案」の優劣を付けず、それぞれの利点と課題を整理するにとどまりました。当時、北総線は北初富から新京成線に直通する暫定開業だったため、「A案」が採用されれば勝ち目はありません。1970年代末に経営危機に陥った京成グループからすれば死活問題でした。一方の国鉄も経営破綻間近で、新線を担う余力はありません。
膠着状態を解消したのは時代の変化でした。そもそも県営北千葉線が計画されたのは、千葉ニュータウンの計画人口に対応するには2ルートが必要との判断でした。しかし1980年代に入ると計画人口、開発区域の縮小見直しが始まり、北千葉線の必要性が低下します。
最終的に1985(昭和60)年の運輸政策審議会答申第7号では、北千葉線(地下鉄10号線の千葉ニュータウン方面延伸)が削除された一方、北総・公団線の成田空港延伸が盛り込まれ、京成が空港輸送を担う方針が決定します。
しかし印旛日本医大以東の整備スキーム構築に時間がかかり、開業は四半世紀後の2010(平成22)年まで待たねばなりませんでした。その間、京成スカイライナーはターミナルビル外の成田空港駅(初代)発着で、そこからバスに乗る必要がありました。直通バスは最速60分弱でしたが、ラッシュ時は渋滞に巻き込まれ100分以上を要することもありました。
こうした状況を改善すべく、1991(平成3)年に成田新幹線の路盤を転用してターミナルビル乗り入れが実現。スカイライナーは日暮里~空港第2ビル間を最速51分で結びました。それが2010年に最速36分に短縮し、将来的に30分台前半となる可能性が示されたのです。
思えば成田新幹線は約65kmを30分、つまり表定速度130km/hで走行する計画でした。対するスカイライナーは日暮里~空港第2ビル間を表定速度約100km/hで走行していますが、複々線化によってもし5分短縮されれば120km/h近くに向上します。成田新幹線は長い時間を経て、その姿を実現しつつあるのかもしれません。
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx





成田新幹線はリニアに変えて実現するべき
成田空港〜東京〜品川〜羽田空港にすれば空気輸送の成田エクスプレスの代わりになる
成田と羽田間はリニア新幹線とすべきだ。