三セクの「優等生扱いでした」――なぜ苦境に? 約50kmの鉄道3路線は消えてしまうのか 存廃議論が大詰め「平成筑豊鉄道」

赤字経営が恒常化した福岡県の第三セクター鉄道、平成筑豊鉄道がバス転換の岐路に立たされています。かつて「三セクの優等生」とされた鉄道が転落した背景を探りました。

開業から7年弱の駅もあるのに

 JR日豊本線の行橋(行橋市)と伊田線・JR日田彦山線の田川伊田を結ぶ田川線は16駅あり、うち10駅は2024年6月13日の乗降人員調査で二桁(10人以上100人未満)という特に厳しい路線です。

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平成筑豊鉄道の令和コスタ行橋駅の駅名標(大塚圭一郎撮影)

 平成筑豊鉄道の行橋駅は、日豊本線の小倉方面の列車が発着するプラットホームの先にあります。停まっていたのは主に黄色の車体で、イメージキャラクター「ちくまる」のイラストなどで装飾したディーゼル車両400形の「なのはな号」です。

 10人弱の利用者を乗せた1両だけの車両は、ひと駅目の令和コスタ行橋駅(同市)に停車。2019(令和元)年8月に開業したばかりの駅で、元号の「令和」と、近くにある商業施設「コスタ行橋」から命名されました。平成筑豊鉄道のレストラン列車「ことこと列車」や、JR九州の豪華寝台列車「ななつ星in九州」などを手掛けた水戸岡鋭治さんがデザインした駅で、筑豊杉などの地元木材をふんだんに使っています。

 2024年の乗降人員調査では218人と、田川線では首位の行橋(620人)、2位の勾金(まがりかね、香春町、244人)に次いで犀川(みやこ町)と同数の3位です。

 田園地帯を進んだ列車は、行橋から7駅目の犀川のホームに滑り込みました。この駅では反対方面へ向かう、5台分の自転車ラックを備えたサイクルトレイン「黒銀(くろぎん)」との行き違いがありました。500形を改造して2024年に登場した「黒銀」の光沢のある黒色の車体は、沿線地域で産出された石炭のうち「最も純度が高く表面がキラキラと輝く”無煙炭”をイメージした」(平成筑豊鉄道)といいます。

華麗な駅舎が待ち受ける

 温泉施設「源じいの森温泉」の最寄り駅である源じいの森(赤村)からはやぶを抜け、第四今川橋梁を渡ると油須原(ゆすばる、赤村)に着きます。木造の駅舎は前身の豊州鉄道が開業した1895(明治28)年から残された、レトロ感あふれる建物です。

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平成筑豊鉄道400形「なのはな号」の「MrMax田川伊田」に到着前の車内表示(大塚圭一郎撮影)

 隣は「赤」というユニークな駅名で、赤村にあります。ここには国鉄時代に路線が建設されたものの、途中で工事が中止された「未成線」の線路敷を活用した「赤村トロッコ油須原線」が3~11月のそれぞれ月1日運行しています。赤駅前から野原越トンネルまでの3.6kmを往復し、トンネル内にはコウモリの姿も見られます。トロッコの色と同じく、平成筑豊鉄道の赤駅の駅名標も村名にちなんで赤く塗られていました。

 赤の2駅先の柿下温泉口(香春町)は、その名の通り高濃度天然ラドン鉱泉「柿下温泉」が近くにあります。しかしながら休業しており、2024年の乗降人員調査では16人と、12人で最少だった崎山(みやこ町)に次いで下から2番目でした。

 約1時間後、列車は駅名標に「MrMax田川伊田」と記された田川伊田に到着しました。ディスカウントストア「MrMax」を運営するミスターマックスがネーミングライツ(命名権)を持つ駅で、JR九州日田彦山線と乗り換えられます。

 下車して驚いたのは、ローカル線同士の接続駅とは思えない3階建て鉄骨造りの華麗な外観の駅舎です。ところが、駅前から延びている全長約450mのアーケード商店街「伊田商店街」はほとんどの店が閉鎖し、シャッター街になっていました。昭和時代にタイムスリップしたようなたたずまいの商店街は、「炭鉱があった頃は賑やかな商店街で、大勢の人通りがあった」(田川市民)と言います。

 石炭がとれた頃の栄華がすっかり過去のものとなり、利用者がまばらになってサステナブル(持続可能)ではなくなった光景は、平成筑豊鉄道が置かれた経営状況と軌を一にしていました。

【路線図】これが「鉄道案」「バス案」の比較です(画像/写真)

Writer:

1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学フランス語学科卒、共同通信社に入社。ニューヨーク支局特派員、ワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。「乗りもの」ならば国内外のあらゆるものに関心を持つ。VIA鉄道カナダの愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員。

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コメント

3件のコメント

  1. 駅前利権のない所に行政・学校・病院が提携して開発しそこに駅を作れば

    その駅を利用する一定数の乗客は確保できたろうにね

    既存の駅前を再開発したくとも利権や抵抗で面倒だし

    何も無かった所に通したバイパス沿いに新市街地ができちゃうのも仕方ない

  2. 三セクは観光資源を直接開発するのが難しいからしょうがないね

  3. 結局、この記事では、3セクとして開業して以降の変化として、

    廃止に追い込まれる理由は何と主張(説明)しているのだろう?

    書かれている内容では、2004年という貨物輸送(セメント)の

    廃止(による収入減)。これ(だけ)?