海自「水上艦隊」誕生でどう変わった!? 護りの要「5大基地」それぞれのスゴい特徴 さらに巨大化する基地も

2026年3月、海上自衛隊に「水上艦隊」が創設されました。約90隻もの艦艇を擁する大艦隊ですが、それらの母港は、横須賀、呉、佐世保、舞鶴、大湊の「5大基地」に分かれています。これら5大拠点の役割と特徴を比べてみます。

対ロシア・北朝鮮の最前線! 日本海と北の護り「舞鶴・大湊」

 海上自衛隊には、北朝鮮やロシアに睨みを利かせるための基地もあります。

日本海側の重要拠点、舞鶴

 舞鶴鎮守府は、日露戦争前の緊迫化する情勢を受け、1901(明治34)年10月、舞鶴湾に開庁しました。この舞鶴鎮守府の敷地と施設を継承する舞鶴基地は、日本海側の中核拠点として、北朝鮮による1998(平成10)年の弾道ミサイル「テポドン」発射や、翌年に起きた能登半島沖不審船事件以降、重要性がますます高まっています。第3水上戦群の司令部が置かれているほか、現在はイージス艦2隻を含む護衛艦8隻と、俊足のミサイル艇2隻、掃海艇2隻などが配備されています。

 ちなみに、旧海軍時代に舞鶴鎮守府が設置された決め手は、舞鶴湾の湾口が狭く、かつ四方を山に囲まれているなど防御に適しており、また湾内は波静かで多くの艦船が停泊できるなど、軍港として理想的な地形だったからとか。この地形に加え、横須賀や佐世保のように米軍施設がない舞鶴基地は、舞鶴湾を囲むように関係部隊なども所在し、使い勝手が良い基地と言われます。

 ゆえに、この舞鶴基地には、海自最長の桟橋と言える、全長約1km強の北吸桟橋があり、艦艇が一直線に係留される光景が有名です。

北海の防衛拠点、大湊

 ここまで見てきた4基地の前身が鎮守府だったのに対し、大湊基地は1905(明治38)年に南樺太の領有権保護のために開設された大湊要港部が前身です。以来、大湊要港部、そして戦後の1953(昭和28)年9月に大湊地方隊として発足していますが、今日まで一貫して北方の防衛拠点としての役割を担ってきました。また、大湊基地内には旧海軍が建設した1万トン乾ドックがあり、海自唯一の自前ドックとして今も現役です。

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京都府舞鶴市の赤レンガパーク。元は旧海軍の保管庫として明治から大正時代にかけて整備された倉庫群で、今では歴史遺構として整備され、一般公開されている(画像:PIXTA)

 なお、大湊基地のある芦崎湾は水深が浅いため、大湊基地には大型の水上艦艇が入港できないという問題点がありましたが、2010年度に約4500トン級艦船を桟橋に接岸可能にする浚渫工事が完了しました。群司令部は所在しませんが、護衛艦7隻などが配備されています。

 このように大湊は他の基地より規模が小さいものの、警備区域には宗谷海峡や津軽海峡、根室海峡などが含まれるため、その重要性は大きいです。ただ、指揮系統の整理などの理由で大湊地方隊は2025年3月、横須賀地方隊に統合され、大湊地区隊に改編されました。

 これら5大基地のうち大湊を除く4基地には、港を巡る遊覧船が運航されており、係留されている艦艇や、帝国海軍が鎮守府を置く判断に至った良港の地形を見ることができます。来たる5月の大型連休では、基地巡りに足を運んでもよいかもしれません。

【写真】海自唯一!「自前の1万トンドック」護衛艦が入る状況を見る

Writer:

月刊誌『軍事研究』編集部記者。編集作業の傍ら、運用者である防衛省・自衛隊および防衛装備品を作る国内外企業などの取材をもとに記事を(不定期に)執筆する。

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コメント

1件のコメント

  1. 連合艦隊と言いたかっただろうにな