「一応完全な装置」と自信 国鉄よりスゴかった私鉄の安全装置 国が突き付けた厳しい高機能とは
国鉄でATSが本格的に普及したのは1960年代のことですが、その前身となる装置は私鉄で早くから導入されていました。相次ぐ事故をきっかけに、私鉄では国鉄のものより高性能なATSが開発されていきます。
大正時代に始まっていたATS開発
鉄道の安全は信号保安装置が支えています。ATS(自動列車停止装置)が国内で普及したのは1960年代のことですが、研究と試験は1922(大正11)年から始まりました。日本で初めてATSを導入した路線は、1927(昭和2)年に開業した東京地下鉄道(現・地下鉄銀座線)です。
鉄道省はその後も横浜線、東海道線などで試験を行いますが、1941(昭和16)年9月に山陽線網干駅で死者65人を出す列車追突事故が発生してしまいます。ATSの必要性を痛感した鉄道省は早速、具体的な方式の検討に着手。速度照査と自動ブレーキを備える車内信号式の高度な方式に決定しました。
1944(昭和19)年に着工するも戦局の悪化で中断。終戦後にシステムを簡素化して再検討しましたが、GHQの承認が得られずに実現しないまま頓挫してしまいました。その結果、列車本数が多い電車運転区間を中心に事故が頻発したため、国鉄は少ない予算で早急に進められる安全対策として「車内警報装置」の整備に着手しました。
車内警報装置とは、停止信号または注意信号に接近するとベルが鳴って警告する装置です。赤信号が近づくと警報が鳴るだけで、停止させる機能はないためATSではありません。また確認スイッチを押せば鳴動が止まり、あとは運転士の注意力に委ねられます。東海道・山陽本線向けの「A形」、電車区間向けの「B形」、その他線区向けの「C形」があります。
しかし当然ながら、これでは事故を防げません。A形が設置された東海道線で1960(昭和35)年に列車追突事故が発生したことを受け、国鉄は車内警報装置に停止機能を付加したATSの開発に着手します。ベルが鳴動するところまでは同じですが、確認ボタンを押さなければ5秒後にブレーキがかかり停止させる装置です。





国鉄の導入が遅れたのはGHQのほかに、国会の議決を得られなかったことも大きいでしょう。
需要が逼迫していた国鉄は、乗車効率300%に達するような通勤ラッシュ対策と幹線の輸送力増強に追われていました。通勤ラッシュ対策には首都圏五方面作戦(東海道・中央・東北・常磐・総武線の複々線化)、幹線の輸送力増強では複線化を推進しましたが。東北本線の全線複線化などは完了しましたが日本海縦貫線は部分的な複線区間贈にとどまっています。
運賃値上げは毎回、時期を遅らせ、値上げ幅を削られてしまい、ATCなどの開発に必要な予算をつけられずペースを落とさざるを得なかった。