マジで「砲弾」がものの数十分で「包丁」になった…! 世界で愛好される「戦いの島の名産品」づくりを実見! 「砲弾は空からの贈り物」と匠
中国大陸の目と鼻の位置にある島「金門」では、過去に大きく2度、中国大陸側との戦争がありました。その厳しい歴史の中から生まれた“名産品”があります。
戦争が生んだ逆転の発想 砲弾から生まれた「金門包丁」
台湾と同じく中華民国が統治し、中国大陸から最短2kmという位置にある金門の島々は、1949年から1979年にかけて激しい戦いが繰り広げられ、中国大陸側から数百万発もの砲弾を受けました。
その激しい歴史のなかで、金門では「金門包丁」と呼ばれる“名産品”が生まれました。無数の砲弾の薬莢を溶かし、手作業で包丁に仕上げたものです。
かつては金門内に複数の業者が存在したようですが、現在残っているのは草分けである「金合利鋼刀」のみです。そのルーツは、初代の呉宗山さんが清朝時代に福建省廈門で鍛治技術を習得し、金門へ戻り1937年に立ち上げた刃物工場にあります。
その後、「古寧頭戦役」(1949年)や「金門砲戦」(1958〜1979年)で資材不足と鉄鋼輸入価格の高騰に見舞われ、金門の工場は経営難に陥ります。しかし、この災いを転機に、二代目の呉宗派さんはあることに気づきました。「撃ち込まれた砲弾の薬莢は高密度で、包丁作りに適している」と。
三代目が世界へ広げた「平和の道具」
以降、呉宗派さんは砲弾の薬莢を集めて包丁作りを始め、「金門包丁」の草分けとして知られるだけでなく、結果的に「金門の名産」を世に広めました。
そして、祖父と父の技術を受け継ぎ、さらに「金門包丁」の素晴らしさを世界中に知らしめることになったのが、三代目の呉増棟さんです。彼は技術を継承するだけでなく、自身の金属工学の知識を加え、さらに高品質な「金門包丁」を誕生させました。
悲しい戦いの産物でもある砲弾の薬莢を、人々の食を支える「包丁」に転換する試みと、その驚異的な切れ味は、世界中から評価されることとなりました。評価は地元・金門や台湾はもちろん、かつての敵地であった中国大陸側の福建省、さらに欧米にも及んでいます。





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