失われた「日本三大車窓」の遺構が国道沿いに点在! まるで“鉄道博物館な峠”をめぐる 2年前の廃線も草に埋もれ
明治時代、北海道開拓の大動脈として建設された根室本線の「狩勝峠」越え区間。国道沿いには、かつて「日本三大車窓」に数えられた鉄道の遺構が多く残っています。
北海道の快走路沿いに眠る「鉄道遺構」の数々
北海道の空知地方と十勝平野を隔てる十勝山脈を越えるルートのうち、明治時代、最初に鉄道が通ったのが、現在の国道38号「狩勝峠」ルートです。南側の国道274号「日勝峠」ルートと比べても標高が低く走りやすいうえ、絶景を楽しめるだけでなく、かつての「鉄道遺構」が点在。その歴史の跡を訪ねてみました。
明治政府は北海道を農地として開拓するとともに、北方からのロシアの侵略に対抗するため、海沿いから内陸部につながる道路や鉄道の建設が進められました。このうち、北海道庁が自ら手掛ける官設鉄道として、旭川と根室を結ぶ「十勝線」の建設が始まりました。これがのちの「根室本線」です。
十勝線は1901年、旭川から現在の南富良野町の「落合駅」までが開通しましたが、この先に立ちはだかったのが、標高644mの「狩勝峠」でした。十勝線はこの峠を急勾配で上り、峠の直下を延長954mの「狩勝隧道」で貫く計画でしたが、固い岩盤と湧水で工事は難航し、開通までに3年半を要することになりました。
峠の十勝側では、急峻な地形を「大築堤」や「アーチ橋」、「Ω状のカーブ」で克服しました。工事はその後逓信省に引き継がれ、1907年に「帯広駅」までが開業し、北海道の東西がはじめて鉄道で結ばれることになったのです。
この根室本線が狩勝峠を越える区間は「狩勝線」と呼ばれ、戦後も道央と道東を結ぶ大動脈として働きました。十勝平野のパノラマをのぞむ“日本三大車窓”のひとつとしても知られましたが、急勾配や厳しい気象条件が安定した輸送の障害になったことから、1966年に狩勝峠の南側を延長5648mの「新狩勝トンネル」でバイパスする「狩勝新線」が建設され、狩勝線はその使命を終えることになったのです。
そしてその後の1981年、南千歳駅から上落合信号場を短絡する「石勝線」が開業し、根室本線は道央と道東を結ぶ鉄道の軸を譲り渡しました。そして2024年3月末、JR北海道の厳しい経営環境を反映し、根室本線は富良野駅から新得駅までが廃止となり、上落合信号場から新得駅は「石勝線」に編入。狩勝新線の落合駅から上落合信号場は、付け替えから58年で、その使命を終えることになったのです。
さて、すでに廃止となって久しい狩勝線ですが、その廃線跡では各所に鉄道遺構が残っています。根室本線の廃止区間も含め、国道38号で南富良野町から狩勝峠を越え新得町までの区間で痕跡を訪ねてみました。





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