バス停「硫酸町」「火薬町」ってどんな場所? かつては「セメント町駅」も
セメントが造られなくなっても「セメント町」のワケ
市によると、市名の「小野田」自体が、旧・小野田セメント(現・太平洋セメント。小野田工場は関連会社の太平洋マテリアルが所有)に由来するのだそうです。
ただ現在は、「太平洋マテリアルの工場ではセメントは造られていません。日本化薬の工場でも、火薬の製造量は多くないと聞いています」(山陽小野田市観光課)とのこと。セメント町には「セメント町商店街」がありましたが、現在ではアーケードが撤去されているといいます。時代とともに工業製品も街も、少しずつ変わっていったようです。
それでも、旧・小野田セメントが明治時代に建造したセメント焼成用の「徳利窯」と呼ばれる施設が太平洋マテリアル小野田工場の敷地内に現存し、国の重要文化財に指定されていたり、かつてセメントを入れた木の樽を最中でかたどった「せめんだる」と呼ばれる和菓子が市の名物となっていたりするそうです。セメントを軸として発展した工業都市としての姿は変わらず、「セメント町」はもちろん、「硫酸町」や「火薬町」といった地名も、その歴史を物語るものだといいます。
ちなみに「セメント町」という地名は、山陽小野田市と同様に太平洋セメントの工場がある大分県津久見市にも存在し、こちらにはその名がついたバス停もあります。
【了】
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