海自国産飛行艇US-1Aとは? 全機が退役 そのDNAは後継へ、そして世界へ

原型機は戦後初の国産飛行艇

「もう一度飛行艇を」

 かつて川西航空機として、帝国海軍にも採用された名機「九七式飛行艇」や「二式飛行艇」を開発・生産を手掛けた新明和工業は、1960年代に入り再び新しい飛行艇の開発に取り組みを開始します。そして時を同じくして海上自衛隊・防衛庁は潜水艦の発する音波を探知する「ソーナー」をあらゆる場所に設置可能な飛行艇に対潜哨戒機としての価値を見出し、新明和とともに飛行艇の国産化を目指すこととなりました。

 まずはアメリカ製のグラマン「アルバトロス」を輸入しこれを原型とする試験機UF-XSを開発し、そして1967(昭和42)年にはついに戦後初となる飛行艇PS-1を初飛行させることに成功します。

 PS-1は非常に優れた低速飛行能力をもち、また新しく発明された「溝型波消装置」は水上滑走中の飛沫を防ぐ高い耐波性能を実現、波高3mでの着水を可能としました。波高3mというと、通常の釣り漁船ならば出漁を見合わせるほどの荒天です。

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US-1Aは1976年の運用開始以降、救難任務において救助者827名を輸送した(画像:海上自衛隊)。

 当初求められた対潜哨戒機としての役割は、航空機投下型の「ソノブイ」の実用化などによって、着水の必要がなくなったことからあまり活躍できませんでしたが、その後に続く国産救難飛行艇の祖となり、PS-1の設計をほぼそのまま踏襲した「PS-1改」へと引き継がれました。

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コメント

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3件のコメント

  1. PS-1は23機生産US-1は20機生産されています。PS-1は岩国を中心に配備、80年代に退役しています。ちなみに生産、運用停止理由は飛行艇特有の整備の手間とP-3C搭載のコンピュータシステムの高度化が原因と言われています。また、救難飛行艇は基本的に岩国基地に配備されていますが(定数7機、ただし現状定数割れ)、厚木基地にも1機が常時展開し、東日本エリアの航空救難に備えています

  2. 5月5日の岩国基地フレンドシップディーで 雄姿を観ました。

    • 確か鹿屋で二式大艇と並んで展示中のはず。え?二式大艇は船の科学館前のはずだって?大分前に移動済みですよ。ついでに船の科学館自体閉館中(宗谷は展示中)です。