「東京オートサロン」の変遷とは 改造車の祭典はどのように市民権を獲得してきたのか
1980年代の「オートサロン」はどんな感じだった?
ところで、「東京オートサロン」が始まったばかりの1980年代はどんな様子だったのでしょうか。「東京オートサロン」がまだ「東京エキサイティングカーショー」と称していたころ、その第2回開催の1984(昭和59)年からほぼ毎年「オートサロン」を訪れている自動車部品輸入業の河野一彦さんは、最近の傾向について「ひと言でいうと、中身重視から見た目重視になりました」といいます。
「BMWとBMW ALPINAの違いがわからない人にも楽しめるイベントになったと言えます。マニア向けの改造車のショウという位置づけから、多くの人がわかりやすいイベントになったことで認知度もあがり、来場者も増えましたね」(河野さん)
1984年の会場にはRE雨宮(千葉県富里市)の、雑誌『オプション』開催「第1回国産最高速テスト」で1位になった「RX-7」(最高288km/h)も展示されました。RE雨宮はレース活動でもその名を広く知られるチューニングショップです。
筆者(加藤久美子:自動車ライター)は「東京オートサロン」と名前を変えた翌年、1988(昭和63)年開催の第5回に、実は同時期に開催されていた「東京外車ショウ」と間違えて会場を訪れたのが最初でした。バブル時代の始まりといえる頃で、ドイツのチューニングメーカー、ケーニッヒのクルマが大挙して出展されたのをはじめ、高級外車がどっと増えた年でもありました。
改造車の人気は根強い事までが分かった