「東京オートサロン」の変遷とは 改造車の祭典はどのように市民権を獲得してきたのか
市民権を獲得したきっかけとは?
1990年代前半はバブル崩壊もあり、その後は方向性が異なるRVやアウトドアブームの陰で少し元気がなかった「オートサロン」でしたが、1995(平成7)年にカスタムカーにとって革命的ともいえる出来事が起きました。道路運送車両法の「規制緩和」です。
それまではアングラな雰囲気もあった「オートサロン」ですが、1990年代半ば以降、急速に認知度が上がるきっかけとなったのもこれです。自動車部品、用品を取り付けるうえでの法規制がかなり緩やかになり、保安基準に抵触しない一定範囲において全長±3cm、全幅±2cm、全高±4cm、そして重量は±50kgまでの範囲であれば届け出が不要となりました。ビス止めなど車体に穴をあけるような恒久的な取り付け方でなければ、エアロパーツなどの外装パーツもそのまま車検OK。ローダウンもスポーツマフラーもOKとなり、これ以降、自動車メーカーもカスタムパーツやコンプリートカーの製作に積極的に取り組むようになりました。
そして1995年開催の「オートサロン」では、日産「スカイライン GT-R(R33)」の新車発表が会場で行われ、これ以降、オートサロンの会場が自動車メーカーのスポーツモデルやモータースポーツ参戦計画などの発表に使われる機会も年々増えていくのです。つまり、自動車メーカーからも認知されるイベントになったということですね。
改造車の人気は根強い事までが分かった