知られざる「氷川丸」の姉妹船、「平安丸」とは 海の上と底、2隻を分けた数奇な航跡(画像18枚)
一方の「氷川丸」は…?
一方の「氷川丸」は1941年のシアトル航路休止後、まず日本在留の外国人と海外在留の日本人それぞれの帰国事業のために、逓信省(当時)に徴用されます。のち帝国海軍に徴用され、同年12月には特設病院船へと改造されます。病院船とは、戦地の病院の戦傷病者を収容し日本へ帰国させることを主な任務とし、ほか戦地や艦船への医薬品の補給なども担うものです。国際条約に則り船体と煙突は白く塗装され、船体側面には赤十字マークと緑の帯が描かれました。
特設病院船としての「氷川丸」は主にトラックやラバウル、ジャカルタなど南方の戦地と日本とを往復し、終戦までの約3年半に24回の航海でおよそ3万人を収容、輸送したといいます。この間、米軍機による攻撃や3度にわたる触雷(水中の機雷に接近あるいは接触すること。機雷は爆発する)などに見舞われましたが、修理に入っていた舞鶴のドック(京都府舞鶴市)で終戦を迎えます。ちなみにこのとき、日本郵船の残存船は37隻で、外洋航海ができるのは「氷川丸」のみだったといいます。
戦後の「氷川丸」はまず、海外に取り残された日本兵や一般人の引き揚げ輸送などに従事し、のち国内航路船や不定期の外航船といった時期を経て、1953(昭和28)年、12年ぶりに再開されたシアトル定期航路へ復帰します。1960(昭和35)年10月、日本郵船の客船事業撤退にともない「氷川丸」も引退。山下公園に係留されることになり、一時ユースホステルとして利用されるなどしたのち、現在(2018年2月)へ至ります。2016年には国の重要文化財に指定され、スクリューなどは外されたものの、いまなお往時の姿をとどめています。
おはようございます。今日の朝は、仙台市内では3㎝位雪が積もりました。こうゆう日は、やはり4駆のランドクルーザーかパジェロかハイラックスで、雪道を走ってみたいですね❗
生き分かれた妹妹船が再会するのは海の底かそれとも…
ある戦記で氷川丸も大戦末期にはオイルタンクを増設して病院船偽装タンカーとして運用されたというヤバい話を読んだ。
沈められた客船の話だと、浅田次郎のシェエラザードが頭に浮かぶ。