「E電」「長野行新幹線」「ゆめもぐら」… 鉄道の消えた愛称、その意味は
マスコミから無視された「『長野行』新幹線」
駅の案内板などでも表示されながら、あまり普及しなかった名称といえば、「長野行新幹線」もあてはまるでしょう。駅案内板などでは、「行」の字をほかの字よりも小さく表示していました。
これは1997(平成9)年10月、北陸新幹線の高崎~長野間が開業した際に登場した名称です。長野止まりだった北陸新幹線は、2015(平成27)年3月に金沢へ延伸するまで「長野新幹線」と案内されていましたが、その最初期には「長野行新幹線」との名称がJR東日本の公式発表などで使われていました。
高崎~長野間も正式な路線名としては「北陸新幹線」です。しかしこの当時、長野から先の開業はめどが立っていなかったうえ、東京~金沢間は上越新幹線と北越急行ほくほく線経由の在来線特急「はくたか」を乗り継いだほうが早かったのです。北陸へ向かう人が誤って乗ってしまうおそれがあることから、JR東日本は案内上の名称をいったんは「長野新幹線」にしようとしましたが、これに対し北陸の自治体から「長野で止まってしまう(=長野以北の工事が中止されてしまう)印象がある」といった反発が寄せられ、「長野行新幹線」に決まったのです。ただし、東京方面へ向かう上り列車のホームでは単に「新幹線」と案内されていることもありました。
この「長野行」との名称は、実際にはJRや鉄道趣味誌などでしか使われなかったようです。1997年10月26日付の読売新聞によると、「『《長野発東京行きの長野行新幹線》では読者が混乱する』などとして、この名称を使う全国紙はない。テレビも大半は『長野新幹線』と報じている」「『E電』の二の舞いとなりそうだ」としています。結局、翌1998(平成10)年には長野以北への延伸が決まったこともあり、JR東日本の公式発表や『JR時刻表』においても、「長野新幹線」に改められました。
ちなみに、このような名称や愛称がいったんは決まったものの、日の目を見ることなく消えてしまった例に「東京環状線」と「ゆめもぐら」があります。いずれも、一部区間の開業時には「都営12号線」と呼ばれた都営大江戸線につけられるはずだったものです。1999(平成11)年に路線名が公募され、得票数の多かった路線名「東京環状線」と、その愛称として「ゆめもぐら」がいったんは決まりましたが、当時の石原慎太郎都知事がこれを一蹴。大江戸線は実際には「6」の字を描き、完全な環状線ではないことから難色を示したのです。その結果、ほかに得票数の多かった「大江戸線」の案を知事も推挙し、愛称なしでこれが路線名として決まりました。
【了】
次の都知事が選ばれる頃には、さくらトラムも、消えた愛称になっているかも。
今までとは違う地下鉄という意味で、ゆめもぐらの愛称は残してもよいのではと当時の自分は思っていたけど・・・
何事も 全て完璧に上手くいく、とはかぎらない という一つの例ですね。
E電だが、応募投票数ではかなり順位が低かったものの選考委員会が半ば強引に選んだ印象が強かった。そして、自分はJR東日本の「East」の頭文字の「E」からとったものと思っていたが、その当時に「エンジョイ」・「エブリディ」・「いい電車」の頭文字の「E」などとこじつけがましく回りくどいPRをしていたため、利用客から白眼視されて定着しなかったという印象が強く残っている。