テロへの備え、警察の「特型警備車」誕生の背景 初代には「あさま山荘事件」の弾痕も
SATが組織されたきっかけはあの「事件」
「ミュンヘンオリンピック」事件を契機に、日本でも特殊部隊を作るべきであると考えられました。そんな折、日本人が首謀者となるテロ事件が発生してしまいます。それが1977(昭和52)年9月28日の「ダッカ日航機ハイジャック」事件です。日本赤軍メンバー5名が、フランスのパリへと向かう同機を、経由地であるインドのムンバイでハイジャックしました。そしてバングラデッシュのダッカに強行着陸させ、身代金と日本で収監されている仲間の釈放を要求します。これに対し、日本は特殊部隊を有していなかったこともあり、打つ手がなくなります。よって、身代金を支払い、釈放に応じるという、テロに屈する解決方法を選んでしまいました。結果、人質は全員解放されましたが、世界から非難されてしまいます。
そこで、同年11月1日に、SATの前身となる特殊部隊が形作られました。ゼロからのスタートであり、模索しながら部隊を整備していき、現在の編成となるのは、1996(平成8)年からです。そこからさらに拡大改編されていきます。現在SATを有しているのは、警視庁、大阪府警、北海道警、千葉県警、神奈川県警、愛知県警、福岡県警、沖縄県警の8つの警察本部です。全部で11個班、約300名がいます。
またSATに準ずる部隊として、全国47都道府県警察機動隊内に、銃器対策部隊も整備されていきました。
SATや銃器対策部隊は、一般の機動隊員とは異なり、重武装であるのが特徴です。H&K社(ドイツ)の機関けん銃MP5が配備されており、テロリストとの銃撃戦を想定しています。そして、「特型警備車」と呼ばれる警察版装甲車を保有しています。
後の課題は法曹界がテロをどう扱うか