西日本豪雨で出動「レッドサラマンダー」も! 日本を守った軍用装甲車ルーツの消防車

消防の赤に白銀の「スリーポインテッドスター」

 最初に軍用装甲車ベースの消防車を運用したのは東京消防庁でした。東京消防庁は1975年(昭和50年)に西ドイツ(当時)製のUR-416装輪装甲車をカスタマイズし、「耐熱救難車」という名称で導入しました。

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東京消防庁提供資料より、同庁が1975年に導入した「耐熱救難車」(画像:東京消防庁)。

 UR-416は、悪路走破性に定評のあるメルセデス・ベンツ社製のウニモグ4輪トラックのコンポーネントを流用して1960年代にラインシュタール社(現在のラインメタル・ランドシステムズ社)が開発したもので、装甲ボディは主要部で9mmの厚さを有し、7.62mm小銃弾や砲弾片に対する防御力を有していました。

 全長は5.2m、車両重量は7.6t、原型(軍用)では10人乗りでしたが、東京消防庁のものは収容人員20人(緊急時)と倍になっていました。

 なお原型では車体上部前方に機銃架があり、7.62mmもしくは12.7mmの機関銃を1丁装備することができました。またオプションで車内にNBC(核/生物/化学兵器)防護装置を搭載することも可能でした。

 東京消防庁の車両は、当然ながら銃塔や銃架は装備していませんでしたが、赤色灯とサイレンを有し、車体の前面から上面にかけてパイプを設置してこのパイプから水を放出することで火災の輻射熱から車体を守って自車を冷やしながら走れるという特徴を有していました。一定の年齢層以上の人なら子供のころの消防車の絵本に載っていたのを覚えているかも知れません。

 UR-416は西ドイツ軍(当時)に採用されることはありませんでしたが、警察や国境警備隊などに配備され、また海外では中南米やアフリカ、中東、アジア諸国などに輸出され、総計で1030両が生産されたベストセラー小型装甲車となりました。

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コメント

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1件のコメント

  1. これは被災地までトレーラーで輸送するのかな?
    何だかんだで15tくらいありそうだから単体車じゃ積載オーバーだろ